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2018年6月7日

モロさん、62年前の八百長試合(?)を糺す

 野球文化學會(The Forum for Researchers of Baseball Culture)の創設者、元整理本部の鬼才諸岡達一さん(82歳)が元気だ。

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諸岡達一さん

 すでに会長を鈴村裕輔さん(41歳)=法政大学客員学術研究員=に譲り、6月3日(日)東京ドームホテルで開かれた総会では、顧問として乾杯の音頭をとった。

 「野球を人類不朽の文化とし、学問としての野球を確立する」

 そううたって野球文化學會を設立したのは、1999(平成11)年だった。元サンデー毎日編集長鳥井守幸さん(86歳)ら毎日新聞の仲間や、ベースボールマガジンの故田村大五さん、報知新聞の記録マニア故宇佐美徹也さんら野球好き文化人を呼び込んだ。論叢誌『ベースボーロジー』第1集を刊行した。

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佐々木信也さん

 この日の総会では、ゲストスピーカーとして佐々木信也さん(84歳)を招いた。湘南高校1年生のとき夏の甲子園大会で優勝、慶大ではキャプテンをつとめ、プロ野球高橋ユニオンズに入団した。フジテレビ「プロ野球ニュース」のキャスターとして大活躍した。

 ミスタージャイアンツ、立大の長嶋茂雄より2年先輩。「シゲと呼び捨てしているのは、私1人ではないか」といった。 髪は黒々。「染めていませんよ」と断るほど若々しい。

 佐々木さんの話が一段落すると、「質問!」とモロさんが立ち上がった。

 1956(昭和31)年10月8日、浦和市営球場で行われたパ・リーグ高橋ユニオンズと毎日オリオンズとのシーズン最終戦についてだった。佐々木さんは二塁手として出場していた。

 「浦和まで見に行ったんです」。モロさんは成蹊大学の学生だった。安倍晋三首相の先輩である。

 ユニオンズは、この試合に敗れると、勝率が3割5分を割り、2年連続で500万円の制裁金を連盟に払わなければならなかった。結果は、4-3でユニオンズの勝利。52勝98敗4引き分け、勝率3割5分0厘6毛4糸9忽3微…。

 当時は、引き分けを0・5勝と数えたから、やっと制裁金を免れたのだ(相沢正夫「『窓際球団』高橋ユニオンズ」=Number1982年1月号)。

 もうひとつ。この試合で毎日オリオンズの山内和弘(一弘、故人)が二塁打を2本放ち、シーズン47本の日本記録を達成している。

 モロさんは指摘する。この試合、毎日オリオンズがわざと負けたのではないか。山内の2本の二塁打も、ユニオンズ外野手の打球の処理が不自然だった。シングルヒットで済むのに二塁打にして、日本記録をつくらせたのはないか。

 総会の出席者は約40人。戦後生まれが大半で、「プロ野球史に、こんな試合もあったんだ」とキョトンとして聞いていた。

 
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質問するモロさんと答える佐々木さん、中央は野球文化學會理事で報知新聞の蛭間豊章さん

 佐々木信也さんがどう答えたか。ここでは書きません。同席していた人に尋ねてください。

 総会が終わって、モロさんは鈴村会長らにメールを送った。

 《ベースボーロジーなるみなさま。総会は大成功。いいゲームでした。取り仕切った役員努力が素ん晴らしい!
感謝いたします。これからさらに「驚くことになります」よ! 諸岡達一》

(堤 哲=野球文化學會監事)

追伸
   モロさんから反論?がメールで着きました。掲載します。

……高橋ユニオンズ対毎日オリオンズの試合を例に出したのは「あれほど面白い野球はほかにない。さすが職業野球!」という大褒めの意味です。あの場で「そう喋った」ハズですが、いやあ表現が下手なもんで通じなかったかも。
 現代の野球ががんじがらめで面白くナイのに比べて「なんとも自由に野球をやっていた時代」なのです。そういう野球を103人が「好き」で観戦していた。(注:観客がそれだけしかいなかったのです)。そういう自由な野球と決まりきった現代野球の違いを「佐々木信也さん、如何に考えますか?」でした。