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2018年7月9日

東京五輪の特ダネ紙面

 元主筆・木戸湊さんらが発行している同人誌「人生八声」15巻(2018年7月発行)に、元社会部の宗岡秀樹さんが「64年東京オリンピックのレガシー そして……」を寄せている。

 東京五輪のとき、宗岡さん(社会部では宗ちゃんと呼んでいたので、以下宗ちゃん)は神奈川県立湘南高校の1年生だった。ヨットの選手村は大磯プリンスホテルで、宗ちゃんはサイン帳2冊を、父親が親しかったホテルの支配人に託した。記念に選手のサインをもらいたい、と思ったのか。

 大会が終わって2か月後に、サイン帳が手元に戻った。

 《(別のホテルに宿泊した)アメリカを除く各国の選手がランダムにそれぞれの書き方でサインやメッセージを残していた。中にはたどたどしいカタカナと漢字で「ドイツ東」と書いたサインもあった。

 片方のサイン帳には当時ノルウェー王室からの選手と話題になったハロルド皇太子の写真と「Herald」の文字が入ったブルーの小さな紙が貼り付けてあった。ハロルド皇太子はサインをしようとしたのだが、王室の随行者から「将来国王になるので」と止められたのだという。そこで大磯プリンスホテルの支配人が気を利かせて朝食の際にサインした伝票の一部を切り取って貼ったのだという》

 宗ちゃんのお宝だった。

 東京五輪から半世紀――。2014年、藤沢文書館は「東京オリンピックとふじさわ」展を開いた。宗ちゃんは「お宝」を出品した。

 そしてことし2018年5月。同文書館から「歴史をひもとく藤沢の資料3」の小冊子が送られてきた。

 《「宗岡秀樹家文書 資料年代1964年(昭和39年) 目録件数2件(現代2件)」とあり「東京オリンピックヨット競技選手のサインを収集したサイン帳。選手村であった大磯プリンスホテルにて収集」と記されていた》

 宗ちゃんは、江の島沖で行われたF D級(フライングダッチマン)レースで、毎日新聞が社会面トップで特ダネを報じたことも紹介している。

 その紙面のコピーを見て、水戸支局で一緒に仕事をした社会部出身の台博見さん(1984年没、 54歳)を思い出した。1967(昭和42)年春の異動で私は長野支局から、台さんは社会部からで、一緒に県警クラブを担当した。

 台さんは、都落ちが気に入らなかったか、もっぱら県警記者クラブのソファーで寝転がっていた。

 自慢話は一切しない人だったが、ある時、この特ダネをしゃべったことがあった。 

  これぞ人間愛の金メダル
   レース中止して救う
    落ちた他艇の乗員を

画像
64年10月15日付

 風速15メートルの突風が吹き荒れる中、23カ国109艇で争われたが、27艇がチン(沈没)、27艇がレースを中止した。トップグループにいたオーストラリア艇の選手が海に投げ落とされ、艇もチンしてもう1人の選手も海中に。

 これに気づいたスウェーデン艇のキエル兄弟がレースを中断して100メートル以上もバックして2人を救い上げた。兄弟はその後レースに復帰したが、ビリから2番目の12位でゴールした、という佳話である。

 宗ちゃんの原稿によると、道徳の教科書にも取り上げられ、IOCのホームページでも「オリンピズム」のフェアプレーとして紹介されているという。

 この特ダネは「編集局長の賞」を受賞した。社報に受賞者が載っている。

 橋戸雄蔵(社会部、頑鉄の息子、故人)
 台博見
 大牟田育宏(富山支局→大阪経済部、中途退社)
 唐沢信一(写真部)
 丸亀弘明(横須賀支局→社会部→政治部、故人)
 若林武(嘱託)

 誰かがこの話を聞き込んで、チーム取材したものと思われる。

 東京五輪の取材配置表によると、橋戸さんがヨット取材のキャップ格だ。

(堤 哲)