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2018年7月30日

金メダリストの元毎日新聞運動部長

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1932年ロス五輪三段跳びで金メダルを獲得した南部忠平さんの跳躍

 1932年ロス五輪の三段跳び金メダリスト・南部忠平さんの妻久子さんの訃報が、運動面の片隅に載っていた。7月24日没、明治45年生まれの106歳。長寿だった。

 久子さんは90歳の時、マスターズ陸上の女子砲丸投げ(重さ3kg)で3メートル32を投げた。日本記録である。その後、砲丸の重さが2kgに変更された。従って永久不滅のレコードだ。

 夫の南部忠平さんは、毎日新聞大阪本社の運動部長をつとめた。1950(昭和25)年、第1回全国高校駅伝は大阪―堺間往復6区間32㌔で行われた。広島県立世羅高校が初の栄冠に輝いたが、優勝カップを授与したのが南部さんだった。

 南部さんは、旧制北海中学卒。札鉄(札幌鉄道局)に入社したあと、1927年(昭和2)に早大に進学、競走部へ。早大2年生の時、アムステルダム五輪に出場し、三段跳びで4位入賞した。

 アムステルダム五輪では、毎日新聞運動部(大阪)の記者だった人見絹枝さん(1931年没、24歳)が陸上女子800メートルで銀メダルを獲得している。

 南部さんは、1932(昭和7)年に毎日新聞運動部(大阪)の嘱託となり、7月30日から始まったロス五輪に出場した。

 本命は走り幅跳び。7メートル98の世界記録保持者だった。しかし、結果は3位。

 三段跳びは、前回アムス五輪金メダルの織田幹雄(南部より1歳年下の27歳)に期待がかかっていたが、南部さんは5回目の跳躍で15メートル72の世界新記録を出して優勝、金メダルに輝いた。4回目までの記録を一気に50センチも伸ばしたのだ。3位の銅メダルは、関大の学生だった大島鎌吉(のち毎日新聞入社)が獲得した。

 1964年の東京五輪では陸上競技の監督。陸上競技で唯一メダルを獲得したのがマラソンの円谷幸吉選手で、その表彰式で銅メダルを授与したのがIOC委員の高石真五郎元毎日新聞社長だった。大島鎌吉さんは日本選手団長をつとめた(毎友会HP随筆欄「円谷幸吉選手に銅メダルをかけた高石真五郎IOC委員」、「金メダル16個! 五輪成功の“立役者”」参照)。

 南部さんは、毎日新聞社退職後、北海道女子短大、京都産業大学各教授、鳥取女子短期大学学長などを歴任した。1997年没、93歳だった。

(堤 哲)