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2018年8月13日

あれから33年、日航ジャンボ機墜落事故

 経済アナリストの森永卓郎さんが、自身のブログに日航機事故のことを書いている。

 ――ニュース番組にかかわるようになって20年以上、私の心のなかには、もやもやした疑問がずっとつきまとってきた。それは日本航空123便の墜落原因だ。1985年8月12日18時12分に、大阪に向けて羽田空港を飛び立った日航123便は、同日18時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人中、520人が死亡するという、一機では、世界最大の航空機事故となった。

 疑問は墜落の原因である。機体後部の圧力隔壁が破損し、尾翼の一部が吹き飛び、油圧装置も破壊されて、機体のコントロールが不可能になり、墜落したとされた。

 同機は、過去に伊丹空港で尻もち事故を起こし、ボーイング社が修理した。圧力隔壁の修理が不十分で、それが破損につながったとされた。

 毎日新聞は、事故発生から4日後の8月16日1面で特報した。

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1985年8月16日付毎日新聞朝刊1面
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 森永さんは、元日航客室乗務員の青山透子著『日本航空123便墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)から、墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していた、訓練用ミサイルが123便の尾翼を破壊したのではないか、という著者の指摘を紹介している。

 そして3年前、「123便の残骸か…相模湾海底で発見」というニュースがテレビ朝日系(ANN)で流れた。

 それを引き上げて、検証すれば事故原因がはっきりするのではないか、と訴えているのだ。

 森永さんの父親、森永京一さん(2011年没、85歳)は、1965年ウィーン特派員→68年ジュネーブ支局長。森永少年も海外生活を送っていて「小4はウィーン、そのあとジュネーブで過ごした」。

(堤 哲)