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2018年9月3日

竹橋引っ越し大作戦

 元英文毎日編集委員の半田一麿さん(83歳)から「You Tube」にこんな動画がアップされているよ」とメールで連絡があった。

 1966(昭和41)年、毎日新聞東京本社が有楽町から竹橋のパレスサイドビルに引っ越すときの映画である。

 「新聞はとめられない」(24分37秒)
 企画:日本通運(株) 制作:毎日映画社
 https://youtu.be/XAVcm819bko

 半田さん、通称半ちゃんは、私が初任地長野支局に赴任したとき、入れ違いで本社にあがった先輩で、半ちゃんの下宿をそのまま引き継いだ因縁がある。上智大学新聞学科卒。1960(昭和35)年入社。社会部にも一時在籍した。

 映画は、松代地震の現場から社会部に電話で原稿が送られ、遊軍記者がザラ紙の原稿用紙にカーボン紙を挟んで、3Bの鉛筆で原稿取りをしているところから始まる。

 当時は活版印刷である。活字を1本1本拾って、1ページ大に組み上げた。漢字テレタイプも導入されていたが、大事件や締め切り間際は、ベテランの活版部員が活字を手拾いをした。機械より断然早かった。

 カーボン紙は、何故か。ラジオ・テレビの速報用で、原稿が2枚必要だったわけである。

 松代地震。長野市の隣、埴科郡松代町(現長野市)で、前年の8月3日から始まった群発地震である。ひどい時には、有感地震が661回(約2分に1回)あり、うち震度5が3回、震度4が3回。家屋が破損する被害も出た。

 気象庁地震課長の「Xデー」オフレコ発言で、長野支局に大型バス位の編集車(写真の暗室と、無線電送機があった)が横付けされ、社会部、写真部、電送担当の連絡部、車両課の運転手さんと計7,8人が応援に来たことがあった。

 長野支局長末安輝雄(2012年没、88歳)。本番は屋代通信部員だった越後喜一郎さん(2010年没、72歳)で、1年生だった長崎和夫さん(75歳)が地滑りに乗って社会面トップを書いたことは、この毎友会HPで紹介した。

 社会部から最初に応援に来たのは、遊軍記者で気象庁を担当していた米山貢二さん(2012年没、83歳)と森浩一さん(83歳)だった。現場ルポは、森さんがカーボン用紙を挟んだザラ紙に、スラスラと鉛筆を滑らせた。

 「社会部の遊軍記者って、格好いいな」と思った。

 映画には昔懐かしい顔がいっぱい出てくる。引っ越しが終わって乾杯の発声をしたのは田中香苗編集主幹(のち会長)、葉巻をくわえているのが狩野近雄取締役出版担当(のちスポニチ社長)。

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田中香苗編集主幹(のち会長)
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狩野近雄取締役出版担当(前東京本社編集局長)

 1966年9月23日の引っ越し大作戦である。見てください。

(堤 哲)