トピックス

2019年3月3日

82歳・江成常夫写真展「After the TSUNAMI」

画像

 3月6日(水)まで、東京四ツ谷のポートレートギャラリー(新宿区四谷1-7-12日本写真会館5階)で、毎日新聞OBの江成常夫写真展「After the TSUNAMI」が開かれている。

 ――「東日本大震災」から8年になる。巨大地震による津波は、岩手、宮城、福島の3県などの沿岸に壊滅的被害をもたらした。 死者、行方不明者は19,000人に及んでいる。歴史は記憶の集積に他ならない。津波から7年余り、3県にまたがり現地を巡ってきた。未曾有の震災と復興の〝かたち〟を展示する。

 トークショーが2日に開かれたが、全国各地から江成ファンの聴衆が詰めかけた。その数ざっと100人。

 江成さんは、1962(昭和37)年に毎日新聞に入社。東京本社写真部で1964東京五輪、羽田沖の全日空機墜落、三億円事件、東大紛争、大阪万博、沖縄返還調印式などを取材したが、「自分が撮りたいと思っていた写真と違うな」と思った。

 1974(昭和49)年退職。「2度と会社の敷居をまたぐな」と写真部長からいわれ、涙を流しました、と無念の思いを吐露した。

 フリーのカメラマン。「誰も相手にしてくれない。冷たかったですね」

 ニューヨークで1年。そこで「戦争花嫁」に出会う。その取材にカリフォルニアで3年。その作品が評価されて日本写真協会の新人賞を受ける。

 以降、中国残留孤児、旧満州国、原爆、まだ遺骨が残る南洋の島々など日本の「負の遺産」を撮り続けた。

 「3・11は夕方のテレビで見ました。原発は人災ですよね」

 「私の写真は、人を写さないんです」

 被写体にすべてを語らせる、ということなのでしょう。

 江成さんは「新聞写真は客観性を重んじて、記録に主観を入れるなという。しかし、表現は主観で決まると思います。だから私は、常に記録と表現のハザマで悩みながら、その接点を探しながらシャッターを切ってきました」と話した。

 会場では、写真集「『After the TSUNAMI』東日本大震災」(冬青社、@9600円+税)も売られていた。

(堤 哲)