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2019年9月1日

生粋の銀座っ子・岸田劉生と毎日新聞の前身「東京日日新聞」

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麗子、麗子、麗子……

 没後90年記念「岸田劉生展」が東京駅丸の内北口にある東京ステーションギャラリーで開かれている(10月20日まで)。 「これまで数多くの岸田劉生展が開催されましたが、本展は初期から最晩年までの名品ばかりを厳選する、今後しばらく出会えないような、珠玉の劉生展を目指しました」とうたう。重要文化財《道路と土手と塀(切通之写生)》はむろん、名品の数々が展観され、麗子像だけでも30点近い。

 劉生は、岸田吟香(当時58歳)の第9子、4男として1891(明治24)年6月23日、東京・銀座で生まれた。銀座通りに面した目薬「精錡水」の「楽善堂薬房」で生まれ育った。

 生粋の銀座っ子である。

 1927(昭和2)年5月には、「東京日日新聞」夕刊1面に「新古細句銀座通(しんこざいくれんがのみちすじ)」と題し、関東大震災から復興した「大東京繁昌記」を連載している。

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1927(昭和2)年5月24日「東京日日新聞」夕刊1面の連載第1回。絵は劉生の実家「薬善堂」

 銀座は1972(明治5)年の大火で灰燼に帰した。不燃都市を目指し、銀座通りの両側に赤レンガの洋風建築が軒を連ねた。銀座通りの幅15間(27・3m)は、その時の都市計画による。

 「薬善堂」の隣には、浅草から引っ越してきた「東京日日新聞」日報社があった。銀座2丁目、現在名鉄メルサのあるところだ。

 吟香は、その「東京日日新聞」の初代主筆。福地桜痴が1874(明治7)年秋に入社して、主筆を譲り、編集長となった。

 吟香は1905(明治38)年に亡くなる。72歳だった。

 劉生は東京高等師範学校付属中学の3年生、14歳の誕生日を迎える直前だった。

 吟香の葬儀をきっかけに、劉生は数寄屋橋教会に通うようになり、洗礼を受ける。独学で水彩画を制作するなかで、画家への歩みを始める。

 あとは、展覧会会場で鑑賞してください。

 11月2日から山口県立美術館(~12月22日)、来年1月8日から名古屋市美術館(~3月1日)に巡回する。

 

(堤   哲)