2020年3月14日
東日本大震災から9年、朝日新聞「ひと」欄紹介の元毎日新聞記者
手塚さや香さん(40歳)。2001年入社、初任地が盛岡支局だった。《4年間、事件や行政から酪農まで、何でも取材。明るい性格で周囲に支えられた》
その後、東京、大阪両本社で学芸部記者として活躍した。《大阪にいた時に震災が発生。希望して再び岩手に赴任したが、現地で痛感したのは深刻な人手不足だった。報道だけでは、すぐに解決できない。ならば「自ら復興の担い手になろう」と2014年に退社し、釜石に移住した》
3月12日付朝日新聞「ひと」欄は、こう紹介している。
釜石では復興支援員組織「釜援隊」の一員になった。鵜住居(うのすまい)地区にある「釜石地方森林組合」に派遣された。
鵜住居といえば、ラグビーW杯の会場となった「釜石鵜住居復興スタジアム」が有名だが、手塚さんが震災の1か月半後に鵜住居を訪れた時は、壁に赤いスプレーで「○」「×」と描かれた廃墟のような建物が並んでいたという。
肩書は「岩手移住計画」代表。HPによると、岩手移住計画は、岩手にUターン・Iターンした人たちの暮らしをもっと楽しくするお手伝いをし、定住につなげていくために活動している任意団体とある。
ことし2月には釜石市から「移住コーディネーター」に委嘱された。
さいたま市出身で、2年前、同じく移住してきた男性と結婚した。
「ひと」欄は、最後にこうまとめている。《震災から9年。復興関連の工事は終わりに近づき、岩手を離れるボランティアも少なくない。「だからこそ、地域の農林水産業を今後どう盛り上げるかが大事。そのためにも生産者の思いを発信し、首都圏の消費者とつないでいきたい」。記者として育ててもらった岩手の地から、これからも発信を続けていく》
手塚さんは、何故13年余で毎日新聞の記者を辞めて、被災地に移住したのか。
手塚さんの5年後輩で、毎日新聞記者を10年余で辞め、現在ノンフィクションライターとして活躍している石戸諭さん(35歳)が雑誌「群像」2020年4月号に書いている。
《違和感――。震災以降、新聞で物事を伝えていくということにつきまとう、どうしようもない「他人事」感に嫌気がさしてしまったのだ》
《違和感ばかりが強まっていった私は、より自由に伝えられるニュース文体を求めてインターネットメディアに移籍し――それでも飽き足らなくなり、今に至る――、手塚は手塚でより現場に接近する場を求めていった。私も彼女も震災が人生の分岐点になったわけだが、そんな人は決して珍しくはないだろう》
石戸さんは2006年入社、岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍した。2018年からノンフィクションライター。ニューズウィーク日本版に「百田尚樹現象」を書いたことはこの毎友会HPでも紹介した。
インキュベーター(孵卵器)を思い浮かべる。毎日新聞に入社して、新聞記者の訓練を受け、独立して巣立っていく。「ヤメ毎」が増殖している。
(堤 哲)