2020年4月1日
キャリアスタッフ、OBアルバイト、ご苦労様でした
東京本社管内では「キャリアスタッフ」(60~65歳)の橋口正さん(松戸通信部)、渡辺洋子さん(千葉支局)、上遠野健一さん(木更津通信部)がこの3月末で卒業されました。
また、3月末で卒業された「OBアルバイト」(65歳以上。2019年度をもって制度廃止)は中島章隆さん(館山通信部)をはじめ、以下の方々になります。
・塚本弘毅さん(八戸通信部) ・鬼山親芳さん(宮古通信部)
・田村彦志さん(能代通信部) ・増田勝彦さん(高崎通信部)=前橋支局通信員
・畑広志さん(沼田通信部) ・柴田光二さん(大田原通信部)
・松山彦蔵さん(秩父通信部) ・舟津進さん(掛川通信部)
・高橋和夫さん(相模原通信部) ・澤晴夫さん(小田原通信部)=昨年12月末で退職
・小田切敏雄さん(富士吉田通信部)=昨年9月末で退職
(通信員は4月からスタートした制度で、各支局が管内に住むOBと契約し、自主的に投稿する原稿を買い取る)
このうち地方版などから5人のメッセージを紹介します。
中島章隆さん(元運動部)
今日で卒業します /千葉
2020年3月31日 地方版
森田健作知事が武将に扮(ふん)した第30回南総里見まつりは2011年9月30日。私が館山通信部に着任する前日でしたが、引っ越し荷物と一緒に館山に着いた私は早速、写真と原稿を千葉支局に送り、翌10月1日付紙面に署名入りで記事が掲載されました。
これが私の「千葉版デビュー」です。知事が扮(ふん)した里見の殿様の名前を間違え、翌日の千葉版で訂正記事を出すおまけがつきます。
それ以来、8年半。本日をもって46年務めた毎日新聞の記者を卒業します。
新人として最初に赴任した青森支局の6年を除けば、31年半は東京本社勤務。館山では久々に読者の皆さんと肌で接しながらの毎日でした。
「今朝の記事読んだよ」「写真はもう少し工夫したら」などなど、直接声をかけていただいたのは、本社では経験できないことばかり。本当に記者冥利に尽きます。
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、新聞社を去るのは心苦しいのですが、後輩にバトンを託して記者生活にピリオドを打ち、筆をおきます。今は筆ではなく、パソコンですが。
柴田光二さん
県北取材20年余に別れ /栃木
2020年3月28日 地方版
この3月で退職することになりました。大田原通信部に着任以来、20年余にわたり大田原市を中心とする県北地区を取材しました。担当は着任当初は7市町村でしたが、平成の大合併などもあり最後は矢板を含めた4市町でした。
振り返ると、自然災害の恐ろしさを思い知らされた1998年の那須水害、県北地域が候補地になった首都機能移転、地域の形が変わった市町村合併、2018年の那須野が原開拓の日本遺産認定などが印象に残っています。忘れられないのが、17年の雪崩事故です。大田原高校山岳部の生徒ら8人もの尊い命が失われたことが、今も悔やまれます。
フレッシュなところでは、那須塩原市の渡辺美知太郎市長の誕生でしょうか。36歳での初当選で、県内最年少の市長になりました。JR那須塩原駅の近くにある工場跡地の活用について、津久井富雄・大田原市長と共に事業者への要望活動をしています。両市長は、県北地域に人口20万から30万の都市を作る構想も共有しています。跡地の活用も含め、今後の行方が気になっています。
退職後は、出身地の福島県から県北地域の繁栄を願っています。お世話になりました。
松山彦蔵さん(元出版局)
秩父よ、逆襲を /埼玉
2020年3月30日 地方版
秩父市は2018年、人口1000人当たりの転入率が19・68人で全国815市区中783位。民間サイト「生活ガイド.com」が算出した全国ランキングにベテランの市職員は目を疑った。
「こんなに下位なのか」
人口減少の続く市は移住施策に力を入れ、相談センターやお試し住宅を設け、転出超過をここ数年、300人台前半に抑えていた。手応えを感じた直後の、この順位だった。
そこで移住加速に向け提言したい。都民に週末や夏冬などに秩父で田舎暮らしをしてもらう「2地域居住」に、首都直下地震をにらんだ避難場所の提供もセールスポイントにしたら、と。地震の揺れに強いとされる秩父で避難民を受け入れるため、空き家・空き地を都会の力を借りて整備するのだ。保険会社ではないけれど、有事に備え地方もしたたかにしぶとく、生き残り戦略を練る時機だと思う。
3月末で毎日新聞社を退職し秩父を離れるが、ぜひ秩父の逆襲を見守りたい。
上遠野健一さん(元社会部)
望郷と感謝の土地 /千葉
2020年3月24日 地方版
新聞記者生活を送る最後の場所と決め、木更津に赴任した。約2年分の記事のスクラップブックを見返している。最初のページには、2機目の米軍輸送機オスプレイの陸上自衛隊木更津駐屯地への到着を予告する記事が貼ってある。カッターナイフで自身の記事を切り取り、貼り付ける。この作業を一日の締めくくりとする日課が好きだった。貼る記事がなく、空白日が続くと、己の怠慢を反省した。
東京湾に面した富津、君津、木更津、袖ケ浦、市原は歴史と文化、人と自然に恵まれ、記事の宝庫だった、とスクラップした記事が教えてくれる。記者駆け出しのころ、初任地は、生まれ故郷と同様に忘れ難く「第二の古里」になる、と先輩諸氏から励まされ、取材に奔走した。
記者最後の土地は何か、多くの記者が私に語らなかった。今、記事化した課題の決着を見届けることなく、この地を去る未練が残る「望郷の地」か、と思う。半面、多くの人に支えられ、新聞記者で終われる「感謝の地」と強く思う。送別に贈られたフキノトウの味はほろ苦く、口になじんだ。
橋口正さん(元写真部)=フェイスブックから
39年11ヶ月のエンプロイヤー人生が今日で終わります…。
まあ、(松戸通信部では)3年も勤まればいいと思っていたのですが…。
みなさまの温かい懐のお陰で、ここまでこれたのかな…。
さて、新しい人生を寿ぐように、娘の「愛児」が家族に加わってくれました。とても高価な「ペット用落花生」を手に…。可愛いですねぇ~…。