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2020年5月15日

「♯検察庁法改正案に抗議します」に共鳴(高尾義彦)

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ハワイの日本語新聞「日刊サン」のコラム

 検察首脳の定年を内閣の恣意的判断で延長することを可能とする検察庁法改正案に、国民の怒りのうねりが広がっている。毎友会ホームページで、この問題について論評することは自制してきたが、憤りを共有する石井國範会長の同意をいただき、一石を投じたい。

 強引に定年延長を推し進める安倍晋三首相の父、安倍晋太郎氏は元毎日新聞記者であり、天上から民主主義、三権分立のルールを息子に教示していただきたい、との思いも込めて。

 今回の定年延長は、2つの問題が重なり合って、国民には分かりにくいものとなっていた。それが、コロナ対策を進める政治に関心が高まるにつれて、この問題に国民が強い意志を表明する事態になった。ツィッターでの抗議に400万件もの賛同ツィートが寄せられ、「火事場泥棒」「どさくさまぎれに」と、一気に世論が高まってきた。

 2つの問題点のうちの一つは、黒川東京高検検事長の定年延長で、1月31日の閣議で突然、決定された。この時点で下記のコラムをハワイ・ホノルルで発行されている日本語新聞「日刊サン」に執筆した。掲載は12日付だが、締め切りはほぼ1週間前なので、かなり早い段階で問題提起したつもりだ。検察庁法には定年延長の規定がなく、安倍首相が法律解釈を変えた、と表明したのが13日だが、その後の国会審議などで「解釈変更」が正当な手続きを経ておらず、法務省などにその議事録が存在しないことが、情報公開法に基づく毎日新聞の取材で明らかになり、極めて不透明で勝手気ままな法解釈の変更であることが裏付けられた。

 ハワイのコラムをまず読んでいただければ、安倍首相の解釈変更が、いかに法を曲げるものかはご理解いただけると思うので、その後に第2の論点を考えたい。

法匪!? 検事総長候補の定年延長

 現場を離れた後も、司法記者の端くれを自任する筆者にとって、黒川弘務東京高検検事長の定年を延長した安倍内閣の閣議決定ほど、まがまがしく感じた司法界の事件はない。国家公務員法と検察庁法を、政権に都合のいいように捻じ曲げた解釈で、違法と指摘する意見に賛同し、警告したい。
 決定は唐突だった。2月8日に63歳の誕生日を迎える黒川検事長の定年を半年延長する閣議は、その一週間前の1月31日だった。森雅子法相は「検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させる」と説明したが、検察史に前例のない決定に、納得した国民は少なかったのではないか。
 検察庁法22条は、「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」と定める。検事長も検察官の一人として63歳が定年となる。この規定については、検察庁法32条の2に「国家公務員法附則第13条により、検察官の職務と責任の特殊性に基づいて、同法の特例を定めたものとする」とされ、検察官の定年は国家公務員の中でも特に厳しく守られなければならないと解釈すべきだ。国家公務員法に一般の公務員に対する定年延長の規定があっても、この規定は検察官には適用されないと解釈するのが妥当な判断だ。
 検察庁法にこの規定が設けられているのは、刑事事件処理に当たって、国民から絶大な権力を負託された検察官を厳しく律して、権力の乱用を防ぐためだ。それが「検察官の職務と責任の特殊性」だ。
 異様な決定がなぜ強行されたか。開会中の国会でも論議が集中し、クローズアップされたのが、次期検事総長人事だった。
 現在の稲田伸夫検事総長が65歳の定年まで務めるのではなく、慣例に従い在任2年となる8月を目途に退官するとの観測がある。だとすれば7月には検事総長交代の時期を迎える。その場合、黒川検事長の同期、林真琴名古屋高検検事長が7月の63歳の誕生日前に検事総長の座を引き継ぐのが自然な流れとみられていた。
 法務・検察部内では、司法修習35期の中で、林、黒川両氏のどちらかが将来の検察トップとの見方が早くからあった。林氏は2002年の名古屋刑務所虐待事件を受けて矯正局で監獄法改正の実績を挙げ、黒川氏は官房長など政界との折衝を担当して実力を発揮したが、ある時期までは林氏が一歩、先んじると評価されていた。
 ここで注目したいのは、今回の異常な閣議決定は、2016年9月の法務省人事に伏線があったという解説である。検事総長交代を中心とした4年前の人事で、黒川官房長が法務事務次官に昇格し、その後、共謀罪の成立などで安倍政権を支えてきた。
 法務・検察首脳は当時、次官には林刑事局長を昇格させ、黒川氏は地方の高検検事長に転出させる案を描いていた。ところが官邸側が黒川氏の次官昇任を要請したことから原案を変更、林氏は刑事局長に留任となった。黒川氏の次官起用は菅義偉官房長官の意向と受け止められた、と当時、朝日新聞編集委員だった村山治記者は解説している。村山記者はかつて毎日新聞に在籍、筆者は司法記者クラブで一緒に仕事をした。朝日新聞に移ってからも、司法記者一筋の経歴で、その解説は信用度が高い。
 官邸サイドが法務・検察のトップ人事に介入したとの懸念が指摘され、政界からの「独立」を掲げてきた検察の歴史に、崩壊の兆しが見えたともいえる人事だった。今回の閣議決定は、官邸介入の構造をさらに露骨に示した。
 検察は戦後、政治からの独立を最優先課題として組織を運営してきた。歴史は、造船疑獄(1954年)で佐藤栄作自由党幹事長を収賄容疑で逮捕する方針を固めていた検察に、犬養毅法相が検察庁法14条による指揮権を発動した前例に遡る。以来、検察は疑獄捜査などで政治の側からの圧力に神経をとがらせ、政治の側もある種の自制をしてきた。
 田中元首相を逮捕したロッキード事件(1976年)では、布施健検事総長が「全責任は自分が負う」と検察首脳会議で明言した。1992年に起きた東京佐川急便事件では、金丸信元自民党副総裁の5億円脱税を略式起訴した検察に不信感が広がり、立て直しのためロッキード事件主任検事だった吉永祐介氏が総長に抜擢された。
 当時、吉永氏は大阪高検検事長で定年とみられていて、筆者が大阪の官舎に訪ねた際には、淡々と定年を迎えるという心境がうかがわれた。ところがカミソリと言われた後藤田正晴法相が就任直後に、「吉永君はどこにいる」と名前を挙げて指名したと伝えられる。今回の定年延長とは逆に、検事総長に最適の人物を、政治の側が選択した。
 「法匪(ほうひ)」という言葉がある。法律を詭弁的に解釈し自分の都合のいい結果を得ようとする者、という意味で、筆者はこの言葉を伊藤榮樹検事総長から聞いた。
 果たしてこの夏に黒川検事総長が誕生するのかどうか、そのプロセスに関わる閣僚や法務・検察首脳が、「法匪」と呼ばれることのないよう良識を期待したい。

 第2の論点は、その後に政府が国家公務員法と抱き合わせで検察庁法の定年延長案を国会に提出した問題だ。これは黒川検事長の定年延長を後付けで正当化するもの、と野党が批判してきた。事実、昨年10月段階で国家公務員法の定年延長が政府内で議論された際、検察庁については「必要がない」との判断だったといわれる。国公法案と「束ねて」、一体のものとして国会に提案された手続きにも問題があるが、それ以上にこの規定が検察の独立・中立性を根本的に崩壊させる危険性をはらんでおり、高まる世論の批判もこの点に焦点が合わされている。

 改正案は、一般の検察官の定年を現行の63歳から65歳に引き上げるとしているが、問題となっている条文は、最高検次長検事、高検検事長、検事正らに63歳の役職定年を設定(検事総長の定年は現行の65歳のまま)、総長も含めこれら検察首脳については、「内閣が定める事由があると認めるときは」最高3年まで定年を延長できるという規定だ。内閣の判断で定年を延長したりしなかったり、内閣が検察首脳人事に介入できることになるが、その基準は明確にされていない。

 安倍首相は記者会見などで「恣意的な人事は行わない」と言明しているものの、その根拠は明らかでなく、定年延長基準の具体的説明もない。これでは内閣が変わった場合、恣意的な判断が入り込む余地が十分にある。内閣お気に入りの検察首脳が長くその地位にとどまれる規定で、現在は検事総長は2年程度で勇退する慣行だが、2022年4月の施行後は、5年間もその地位にとどまる検事総長が生まれる可能性も指摘されている。

 こうした事態に、ロッキード事件捜査を担当した松尾邦弘元検事総長、堀田力元官房長ら検察OBが改正案に反対する意見書を法務省に提出。表立った発言が出来ない現職検察官に代わって、検察の受け止め方を意思表示した形になった。

 国会審議は大詰めの15日、それまで自民党が拒否していた森法相が内閣委員会に出席し、審議が行われた。野党委員の追及に対して、森法相は定年延長を認める場合の具体的な基準を明示できず、野党委員を納得させることは出来なかった。

 野党は、それ以前に答弁していた武田良太行政改革担当相の不信任案を提出して対抗。この日、延長法案の採決を予定していた与党は、来週以降の委員会に審議を持ち越すことになり、取り合えず強行突破は回避された。

検事総長 粘って夏を 超えるべし

 これは河彦の名前で日々、つぶやいているツィッター俳句(12日)。安倍政権の愚行を阻止する手段としては、稲田検事総長が2年で辞任しないで来年の定年まで勤めれば、黒川検事総長は実現しない。国民は検察をめぐる政治の動きを、自分たちの権利が侵害され、自らの自由や民主主義、三権分立が絵に画いた餅になりかねない事態であると受け止めて声を上げていることを、安倍首相はじめ政治家たちは重く受け止めるべきだろう。

(高尾 義彦)