2020年6月8日
「三密」を避けましょうという時代に……
この写真は、写真部OB二村次郎さん(1994年没、80歳)の作品である。雑誌のコピーが断捨離作業中に見つかった。
二村さんは1938(昭和13)年に報知新聞から東京日日新聞(毎日新聞)に入社した。
ポン焚き(フラッシュのマグネシウムを焚くカメラマン助手)から始めて、カメラマンになった職人時代の写真部員である。
毎日新聞のHPを検索すると、1960(昭和35)年のローマ五輪に派遣され、水泳の山中毅選手、鉄棒の小野喬選手などの競技写真の他、ボート競技を観戦するモナコのグレース・ケリー王妃とか、採火式の会場で毎日新聞OBの作家井上靖さんを撮っている。
毎日新聞東京本社写真部OB会編『【激写】昭和』(1989年刊平河出版社)に、こんな思い出話を書いている。
《熱帯魚にも夢中になった。その当時の王様はエンゼルフィッシュであり、その産卵状況を撮りたいと、熱帯魚業者に頼み込んだが、どこも許してくれなかった。それならば、自分で飼育して撮ろうと、3年間飼い続けて、見事に念願を果たして、業者をアッと言わせた》この写真は、その余禄に違いない。
思い出話の前段で《ニュース写真のかたわら、あらゆるものにレンズを向けた》とあり、「蚊のオシッコ」や「ノミの飛翔」の撮影に成功したと綴っている。
作家の戸川幸夫さんは「サン写真新聞」の編集部に在籍したことがあり、カメラマンを題材にした作品も書いている。「ノミの飛翔」撮影に苦闘する写真部員の話を読んだ気がする。
ネット上にこんな話が載っていた。井上靖さんが1973年にアフガニスタン、イラン、トルコを巡る旅で写真を撮影した際、二村さんの助言に従って「距離は無限大、絞りは日中11、夕方8に固定。あとは機械に任せました」。雲の写真が残っている。5年後に敦煌を初めて訪れた時も、雲を撮影したという。
(堤 哲)