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2020年8月6日

ことしも広島で慰霊をする関千枝子さん

 関千枝子さんのブログ7月下旬号——。

 ……私の著書「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」(1985年に出した本ですが、まだ現役、ちくま文庫で読めます)を朗読劇にしてやってくださるところがいっぱいあるのですが、それも今年は皆中止になってしまいました。劇場のクラスターもあり、怖いし、朗読劇などは散々です。

 それがある大阪のグループの方々の朗読劇が27日、大阪府島本町の「反核平和フェスティバル」で行う。観客は20人にしぼるがという話がありました。その後。大阪もコロナ感染者が増え、心配しておりましたが、島本町はなかなか革新的なところで大分昔ですが、女性の町会議員の数が日本一だったか、2位だったか有名になったところです。立派にフェスティバルをやり遂げ、朗読劇も20人のお客様は全員来てくださり、見事にできたようです。本当にうれしくなりました。コロナに負けず元気にやっているところはあるのですね。

 この朗読劇をやった方、8月には広島に来られます。広島も市の式典も少数で、式典のある6日の朝は平和公園にも入れないとか、大変ですが、私のクラスの眠る慰霊碑では、例年通り慰霊祭をちゃんとやるそうです、朗読劇の皆様にいろいろご案内したいと張り切っています。私も〔不急不要〕ではないと思いますので、広島に参ります。8月上旬号はそんなご報告になりそうです。

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 社会部旧友の関千枝子さん(88歳)の著書『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』。

 「勤労動員にかり出された級友たちは全滅した。 当日、体調不良のため欠席して死をまぬがれた著者が、40年の後、一人一人の遺族や関係者を訪ねあるき、クラス全員の姿を確かめていった貴重な記録」と紹介にある。

 あの日、1945年8月6日。二年西組は爆心から南へ1.1キロメートルの広島市雑魚場町の市役所裏に動員され、建物疎開作業をしていた。

 動員された39人の生徒のうち38人が同年の8月6日から20日までに死亡し、一人生き残った坂本節子さんは37歳の若さで、胃がんで亡くなった。

 引率の先生3人も全員死亡。最年長の教頭先生が37歳、最も若い先生は20歳だった。

 この日の動員に欠席して生き残った生徒が7人。関さんはそのうちのひとりだった。

 関さんは、毎年原爆忌の8月6日は広島で、慰霊とともに、この悲劇を語り継ぎ、反戦平和を訴える。

 8月上旬号のブログがアップされたら、紹介します。

(堤  哲)

※関千枝子さんの話は著書の紹介ととともに、6日付朝日新聞「天声人語」に取り上げられています。