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2020年9月2日

山崎正和氏の訃報―奥武則さんが「今週の本棚」スタートを振り返る

 山崎正和さん(下の写真)が亡くなった。訃報は各紙に大きく載り、追悼記事も各紙に出た。追悼記事で、私が読んだのは、朝日新聞の鷲田清一氏と毎日新聞の五百旗頭真氏のもの。両方とも、山崎さんが、「劇作家」や「評論家」といった肩書きに収まらない文化創造者ともいうべき存在だったことにふれている。たしかに、山崎さんのような「大知識人」は、もう出ないだろう。

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 「山崎さん」と親しげに(?)に呼んでいるが、個人的に深いかかわりがあったわけではない。ただ、毎日新聞社時代、何度かお会いし、座談会にも出ていただいた。

 一つは、1995年4月から翌年3月まで週一回、一ページの紙面全部を使って連載した戦後50年の大型企画『岩波書店と文藝春秋――戦後50年 日本人は何を考えてきたのか』の締めくくりの座談会「総合雑誌を考える」である(上に紙面の写真)。

 この企画の相談相手の半藤一利さんの司会で、山崎さんと作家の丸谷才一(上の写真左)さんの三人で座談会をしてもらった。

 山崎さんと丸谷さんは多くの対談などをしていて、旧知の仲。この座談会でもお互いの発言をめぐって「論争」するといったことはなかった。だが、なんというか、名人・達人同士の「技」の見せ合いといった趣があって、同席していて、一種の緊張感があったのを覚えている。

 毎日新聞が丸谷さんを編集顧問に迎えて、書評欄を刷新した「今週の本棚」をスタートしたのは、1992年4月だった。山崎さんに客員的なかたちで書評執筆メンバーに入ってもらった。むろん、丸谷さんの提案である。

 毎年春に書評メンバーが集まって、懇親会を開く。その席で、山崎さんに会ったのが初対面だった。「あなたは本当に新聞を作るのが好きなんですね」と言われたのを覚えている。

 「今週の本棚」では、従来のように「書評委員会」を開いて書評する本を決める方式に変えて、今後の予定や新刊本のお知らせを小冊子にして毎週、メンバーに送ることにした。この冊子は、丸谷さんが「竹橋通信」と“命名”してくれた(竹橋は毎日新聞のある場所)。担当デスクとして、この「竹橋通信」を作っていたわけだが、たんなる「連絡」ではつまらないと思って、冒頭にちょっとした短文を書いた。山崎さんは、その「竹橋通信」のことを、たぶん褒めてくれたのだろう、と勝手に思っている。

 山崎さんの「世阿弥」をはじめとする劇作にはまったく接していないのだが、構想力あふれる文明批評にはいつも感銘を受けていた。

 私にとっても「巨星墜つ」という思いは強い。

 そういえば、丸谷さんもすでに2012年10月に亡くなり、「今週の本棚」の顔ともいうべきコーナーのイラストを長く描いていただいた和田誠さん(上の写真㊨)も今年10月に逝かれた(ちなみに、本ブログのプロフィールに載せた「似顔絵」は ©MAKOTO WADA である)。

 炎暑の日々だが、黄昏時にいる思いが募る。

 (奥武則さんの「新・ときたま日記」8月29日付け)

 奥武則さん=ジャーナリズム史研究者。新聞社に33年。2003年4月―2017年3月、法政大学社会学部・大学院社会学研究科教授。「ジャーナリズムの歴史と思想」などを担当。法政大学名誉教授。毎日新聞客員編集委員。