2020年9月4日
「東京日日新聞」創刊の地
9月3日付夕刊「憂楽帳」に「創刊の地を探す」とあった。
コラムを要約すると——。
《毎日新聞の前身、東京日日新聞が創刊した地は「浅草茅町(かやちょう)1丁目24番地」。社史によると、創業者の一人、戯作(げさく)者の条野伝平の自宅で、1872(明治5)年2月のことだ。この町名は、もう残っていないが、台東区のJR浅草橋駅や屋形船が浮かぶ神田川のすぐそばのようだ。我が家からも近い》
で、筆者は現場を探すのだが、結論は《いつか、条野宅の跡を探し当てたい》。
到達できなかった。
社会部旧友今吉賢一郎さん著『毎日新聞の源流』(毎日新聞社1988年刊)に条野伝平宅の地図まで載っているのだ。
この本のあとがきに今吉さんが書いている。
《昭和62年8月30日付で毎日新聞(東京)は4万号を迎えた。この日を挟んで「人脈」欄に連載の機会を与えられた》
《明治5年(2月21日)に東京日日新聞が浅草茅町1丁目、条野伝平宅で誕生したとき、そこはまさに通人たちの集中している地区だった。いちばん時代を呼吸している街だった。…もともと新聞は、地域に根をおろしたものだった。最初から漠然とした全国紙などは存在しなかった。東京日日新聞は、時代を呼吸する街に根を張る新聞として始まっていた》
条野宅で発行していたのは20号までで、明治5年3月12日付から元大阪町新道(辻伝右衛門邸宅に移った。現在の中央区日本橋人形町1丁目)。
辻は《銀および銀貨を管理した江戸「銀座」役人の筆頭》《資金力を背景に日報社(東京日日新聞の発行社)にかかわった》と今吉さんは説明している。
さらに明治6年2月25日付から浅草河原町16番地に変わった。地図にある江戸通りの交差点の角地だ。
毎日新聞は2022年2月21日に創刊150年を迎える。
(堤 哲)