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2020年9月10日

毎日ファッション大賞選考委員・太田伸之さんがMD実学本を出版

 2020年(第38回)「毎日ファッション大賞」(毎日新聞社主催、経済産業省後援)の受賞者が決定しましたと、9月9日付朝刊に社告があった。

 <大賞>デザイナー・熊切秀典氏(beautiful people)
 <新人賞・資生堂奨励賞>デザイナー・横澤琴葉氏(kotohayokozawa)
 <鯨岡阿美子賞>ファッション甲子園実行委員会
 <話題賞>ワークマンプラス

 毎日ファッション大賞の選考委員を務める太田伸之さん(67歳)が『売り場は明日をささやく―大変革期を生き抜くファッションMDの実学』(繊研新聞社刊、2,200円+税)を出版した。

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 MD(マーチャンダイザー)とはマーチャンダイジングの頭文字からで、マーケットやトレンドを分析し、商品企画から販売計画、予算・売り上げを管理する、アパレル企業のブレーンだそうだ。

 太田さんは、この本についてこう書いている。

 《ファッションビジネスはいま赤信号状態、なので表紙は真っ赤に塗りつぶしました》
 《タイトル「売り場は明日をささやく」は、売り場を注意深く見て分析すれば明日の業界、市場が見えてくるという意味です》
 《コロナ後、同じ景色は戻ってきません。これからどういう戦略を立てるのか、ぜひ拙著を参考にしていただきたいです》
 《「もっと魅力的な商品を作ろう」、まさにクリエーションが問われるのはここからではないでしょうか》

 太田さんの三重県桑名市の実家は、テイラーだった。明治大学の学生時代からファッションのサークル活動をはじめ、大学を卒業してNYへ。百貨店、有名ブティックなどを回り、クリエーターにも会って、その現地報告を繊研新聞に送った。同時にアートとデザインの私立専門大学であるParson’s School of Designに通った。のちに同校の講師となって、授業も受け持った。

 8年のNY生活を終えて帰国、1989(平成元)年11月に東京ファッションデザイナーズ協議会(CFD)を立ち上げて、議長に就任する。

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毎日新聞社2009年刊

 日本のファッションを世界に発信!で、東京コレクッションを春秋に開くとともに、ファッションビジネス塾を開いてマーチャンダイザーの育成を始めた。

 1995(平成)年CFD議長を退任して銀座のデパート松屋営業本部顧問兼東京生活研究所所長→2000年イッセイミヤケ社長→2011年松屋常務執行役員、MD戦略室長→海外需要開拓支援機構(クールジャパン)社長→18年退任。(株)MD03設立。

 以上は、太田さんの『ファッションビジネスの魔力』(毎日新聞社2009年刊)などからの引用だが、太田さんが一番信頼していたのは毎日新聞のファッション記者市倉浩二郎(1940年入社)だった。市倉はパリコレから帰国して体調を崩し、1994年4月25日に亡くなった。53歳だった。

 太田さんは、社会部旧友大住広人さん(1961年入社)とともに市倉の葬儀すべてを仕切った。太田さんは、今でも「桜の季節は市倉を思い出すので好きでない」という。

 新宿伊勢丹本館2階の「TOKYO解放区」がある。『売り場は明日をささやく』108ページに解放区誕生の経緯が綴られている。

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1994年4月19日毎日新聞夕刊

 狙いは若手ファッションデザイナー育成、インキュベーションのための売場確保だった。

 太田さんが持ちかけたのは後に社長となる武藤信一さんであり、そのバイヤーが後にファッション業界初の参議院議員となる藤巻幸夫さん(2人とも故人)だった。

 そのオープンが1994年4月。なんとその記事を夕刊ファッション欄に私が書いているのだ。多分、市倉が体調を崩して入院、編集委員室で隣合っていた私に「穴埋め」原稿が求められ、伊勢丹で写真を撮って書いたと思われる。市倉の代打・代走だった。

 その記事で太田さんはこういっている。

 「卵がかえる機会は与える。孵らない卵は捨てる。かえったヒヨコは追い出す、ということです」

 「解放区」から何人の若手デザイナーが羽ばたいてメジャーになったのだろうか。

(堤  哲)