2020年10月9日
連載「ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌」を始めました ― 毎日新聞グループホールディングス顧問・小川一
日本新聞協会発行の月刊誌「新聞研究」で、1999年1月号から2003年5月号まで続いた連載がありました。「忙中日誌」と題され、新聞社のデスクが日々の仕事や出来事を綴ったものです。その筆者である「大林三郎」は、実は私でした。今回、私が筆者であったことを明かした上で、当時の日誌を改めて読み直す連載「ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌」を「note」で始めました。「note」は、編集者やジャーナリストがよく使っているブログサイトです。
「忙中日誌」は、1960年代に共同通信社会部デスクだった原寿雄さんが「小和田次郎」のペンネームで執筆した名著「デスク日記」を意識したものでした。現代版の「デスク日記」が展開できないかと考えた新聞研究編集部が、筆者に私を選んでくれました。当時の上司に相談したところ「面白い。やってみたら」。この自由さとおおらかさが毎日新聞です。まさか編集局長は私が筆者とは知らないだろうと思っていたのですが、連載が始まってしばらくした頃、「今月号は話題になっているよ。いったい誰が書いているんだろう、って」と廊下で話しかけられました。本当にいい会社です。
「忙中日誌」の連載は、毎日新聞の小川一が書いているということを気づかれないようにするため、少し苦労しました。原さんのデスク日記を読んでいると、後輩の結婚式に出た様子などが書かれています。どうやってペンネームを維持できたのか、よほど原さんに聞いてみようかとも思ったのですが、それも失礼なので、私なりに考えて対処しました。例えば、飲み会の様子などは日付をずらしたり、他社のデスクの体験談を自分事のように書いたりもしました。総じて、事実や事態の文脈を曲げず、後世に読み返してもその検証に耐えられるものにしたつもりです。連載中、後輩や他社の記者から「大林三郎は小川さんでしょう」と聞かれたことが3度ほどありました。その時は、笑ってごまかしました。
今回、新たな連載を始めようと思いついたのは、NHK広島放送局がツイッターで展開している「ひろしまタイムライン」を知ったのがきっかけでした。原爆投下前後から敗戦直後の広島の庶民の悲惨な暮らしを、当時の人々の日記などから掘り起こし、BSの特集番組に編成するとともに、ツイッターで再現する取り組みです。一部に差別表現があり、残念な事態も招きましたが、その発想には大きな刺激を受けました。自分が過去に書いたものでも、現在にアップデートすることができると教えられました。また、インターネットの時代の今、デジタル情報としてアップしない限り、多くは死蔵してしまうという意識もありました。
私は、2019年1月~4月に「平成の事件ジャーナリズム史」を15回、2020年1月~4月に「令和のジャーナリズム同時代史を13回にわたって毎日新聞のニュースサイトで連載しました。この時も、過去の著書や雑誌に書いたものを拾い出して再構成しました。読者の反応もよく、「平成の事件ジャーナリズム史」2回目の記事は、毎日新聞が1年間に発信する10万もの記事の中で、有料読者獲得ランキングでトップ10に入りました。連載でトップ10入りしたのは、私の記事だけでした。還暦すぎた私が、若い人たちに勝ったようでうれしかったこともあって、20年以上前の日誌を現在の連載にすることを決めました。ちょうど、取締役を退いたこともあり、実名を明かしても、会社に迷惑をかけないだろうという判断もありました。連載の舞台を「note」にしたのも、ペンネームで書いた作品を、毎日新聞の看板の下で展開するのは適切ではないと考えたためです。
「忙中日誌」は1998年11月1日から始まります。日本の新聞の発行部数が最高を記録したのは1997年です。ちょうど部数減少が始まった頃に連載を始めたことになりますが、それでも、日誌には、まだまだ元気いっぱいの紙の新聞の姿が描かれています。「コンプライアンス」や「働き方改革」「テレワーク」などが幅をきかす今とは、白黒反転したような懐かしい風景です。連載は、そんなノスタルジーに陥ることなく、当時の熱量を今に伝導するものにしたいと考えています。
「忙中日誌」は、私が社会部デスクから横浜支局長に転出する直前の2003年3月で終わりました。今回「ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌」という題名にしたのは、「忙中日誌」だけでなく、その後の出来事も盛り込むためです。社会部長や編集編成局長時代に書いた文章も拾い出して、アップデートしていくつもりです。原則として毎週日曜日に投稿し、1年間は続ける覚悟です。読んでいただければ幸いです。
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小川一さんのブログについて、堤哲さんから以下の寄稿をいただきました。
社会部旧友・小川一さん(62歳)がインターネット上で「ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌」https://note.com/pinpinkiri/n/ne12393620f6cの連載を始めた。
はじめに、にこうある。
《ジャーナリズムの危機は、20年前にもさかんに指摘されていました。その危機は、乗り越えられないまま、インターネットの普及とソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の登場で、さらに深刻なものになりました。
巷間にあふれるフェイクニュースや、人の命をも奪う誹謗中傷の投稿は、角度を変えてみれば、ジャーナリズムの衰退と敗北の結果とも言えます。
一方で、全員が発信できる時代は、全員が発信者の責任を共有する時代、全員がジャーナリストになりうる時代でもあります。
そんな時代を迎え、もう一度ジャーナリズムを多くの人と一緒に考えてみたいと思いました》
小川さんは、社会部記者時代、月刊「新聞研究」(日本新聞協会発行)に「大林三郎」のペンネームで「忙中日誌」を連載していた。1999年1月号から2003年5月号までの4年半に及ぶ。
筆者の新人記者時代の教科書でもあった小和田次郎著『デスク日記』(共同通信社会部デスク原寿雄著)のひそみに倣って連載を始めた、と書いている。
20年前と今——。新聞の危機は深刻だ。
1999年日本の新聞の発行部数は5370万部、総売上高は2兆4688億円。
2019年の発行部数3780万部(▲1590万部)、総売上高1兆9323億円(▲5365億円)。
2020年はコロナ禍で発行部数、総売上高とも、さらに落ち込んでいると思われる。
20年前の日誌と比較することで《ジャーナリズムの過去と現在と読み解き、未来を展望する手がかりが得られれば、と思っています》
さらに《この時代を報道の現場から記した日誌は、私個人の反省の記録であると同時に、ジャーナリズムとマスメディアの未来へ、反面教師という面も含めた伝言になることを願います》
小川さんは、元社会部長→編集編成局長→取締役メディア担当
(堤 哲)