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2020年10月26日

れいわ難病議員のそばで、「改革」の現場を日々、体験 ― 新聞記者からALS議員秘書に転身した蒔田備憲さん

 2019年9月、14年半お世話になった毎日新聞社を退職しました。同年10月から、進行性の難病「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)の参議院議員、舩後靖彦氏の公設秘書として働いています。いまも「議員秘書」である自分に戸惑いは消えませんが、憲政史上初という人工呼吸器装着のALS議員のそばで、日々「改革」の現場を目の当たりする刺激的な日々を送っています。

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舩後議員のそばでPCを操作する蒔田さん

 「舩後さんの秘書、やってみない?」。昨年8月、知人から突然、こんなメールが届きました。知人はALSの患者活動に長く携わっている人。取材をきっかけに10年近い交流がありましたが、私は舩後氏に会ったことも、取材をしたこともありません。誘いに驚いた一方、次の瞬間には「面白そう」という気持ちがわきました。やりがいのある記者という仕事を離れることは本当に悩みましたが、この「面白そう」という気持ちに押され、転職をすることになりました。

 ALSを発症すると、全身の筋肉が徐々に動かなくなります。原因は不明で、治療法もありません。人によって進行度は様々ですが、発症から数年で自力の呼吸が難しくなるといわれています。国内には約1万人の患者がおり、国の医療費助成の対象となる「指定難病」になっています。舩後氏は2000年に診断され、02年に人工呼吸器を装着しました。現在はわずかに動く顔の筋肉を使い、瞬きなどでコミュニケーションをとります。

 舩後氏自身とのかかわりはありませんでしたが、ALS患者との交流は長くありました。毎日新聞入社数年後から、障害や難病のある人が直面する生活上の困難さに関心を持ち、単発の記事を書いたり、企画をしたりしていました。佐賀支局勤務時代(2010~14年度)には1年9か月にわたり、難病患者の日常を伝える「難病カルテ 患者たちのいま」という週1回の連載を一人で担当しており、何人ものALS患者と出会いました。そうした経験を知っていた知人が、声をかけてくれたのでした。

 国会で働きはじめ、舩後氏のそばに行ってみると、ハード面でもソフト面でも、国会は「障壁」ばかりでした。参議院の玄関には昇降機もなく、正面から建物に入ることもできませんでした。本会議場で行う法案の採決などの「起立採決」も。従来の設備やルールを一から、見直していく作業が必要となりました。

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文教科学委員会で

 最もタフな交渉となったのが、委員会です。国会議員にとって一番の活躍の場である委員会質疑でも、「全身まひ」の状態である舩後氏は、資料を映し出すためのモニターやパソコン、介助者の同席が不可欠です。こうした根本的な課題から、委員会開会中に介助者が水を飲めるようにする(従前は発言者以外が水を飲むこともダメ)ところまで、いままで認められていなかった前例を一つ一つ、議員とともに交渉しながら取り組んできました。さらに、舩後氏の代わりに秘書が質問文を読み上げる「代読質問」が認められ、舩後氏の目の前に50音を印刷した透明のプラスチックシートを掲げ、舩後氏が視線と瞬きで1文字ずつ文章を作成する「文字盤」で再質問する際は、持ち時間が減らない形にもなりました。

 舩後氏というたった一人の存在が、長い歴史の積み重ねで、前例と慣習で固まった国会の場を大きく変えてしまう瞬間を見続けられるのは、本当に興味深いです。重度障害者2人を国会に送り込んだ、れいわ新選組代表の山本太郎氏は「国会にミサイルを撃ち込んだ」と表現しますが、あながち冗談でもないようにすら、感じます。

 国会に入ってつくづく感じるのは、大多数の国会議員というのは健康で、24時間でも働ける体力がある「スーパーマン/ウーマン」の集まりだということです。そうした環境だからこそ、舩後氏のような「規格外」の存在がいる価値があると思います。こうした活動は、舩後氏や同僚議員である木村英子氏のためだけのものではありません。舩後氏がほかの健康な議員と同等に活動できる環境を整えることで、障害者だけでなく、けがをした人、子育て中の方や、持病のある人も、国会で活動できるのだという土台作りになるのだと感じています。

 障害者はこれまで、「社会に迷惑な存在」という偏見・差別を向けられながらも、社会のなかで身をさらし、「当たり前に生きる」大切さを訴え、世の中を変えてきました。舩後氏の国会活動もまさに、こうした営みの延長線にあると感じています。この一歩一歩が、多様性のある国会、ひいては社会につながるはずです。

 議員秘書の仕事を始めてから常に、心がけていることがあります。公設秘書は国会議員の手足となって働く仕事ではありますが、立場としては「公務員」。ただ単に、目の前にいる議員のためだけに働くことだけではなく、議員活動のサポートを通じて社会に貢献するのが役割だと感じています。地方支局と社会部しか経験していない自分にとって、国会はほとんど未知の場で失敗ばかりですが、新聞記者時代の経験や挫折を生かし、多様性ある社会の実現に少しでも貢献したいと考えています。

プロフィール
蒔田備憲(まきた まさのり)さん
1982年生まれ。神奈川県出身。筑波大学卒業後、2005年毎日新聞入社。大津支局、富山支局、佐賀支局、水戸支局、多摩総局、東京本社社会部。著書は「難病カルテ 患者たちのいま」(2014年、生活書院)。