2020年11月22日
三島事件から50年、「最後の手紙」 を受け取った徳岡孝夫さん
11月25日は、三島由紀夫事件から半世紀である。NHKの特集番組で毎日新聞OBの徳岡孝夫さん(90歳)がインタビューを受けていた。三島にノーベル文学賞を受賞した時の原稿を書いて欲しいと頼んで断られたという話だった。
以下は三島事件を報じる毎日新聞の記事である。
徳岡さんは、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自衛隊員に決起を促す演説をしたあと自決した事件(1970年11月25日)の際、「最後の手紙」を受け取り、翌26日朝刊社会面トップで署名記事を書いている。
《バルコニーの上と下、5メートルをへだてて、私は叫び続ける三島由紀夫と対していた》《その朝、楯の会の1人から三島の最後の手紙を渡された私は、今バルコニーに突っ立っているその手紙の差出人が、死を決意していることを知っていた》
《三島から〝決行〟を予告されたのは前日24日午後だった。…「傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも、小生らとしては、純粋に憂国の情に出でたるものであることを御理解いただきたく」と手紙にあった
演説が終われば、三島はどうやって死ぬのだろう。古式にのっとって自分の腹に日本刀を突き立てる――自作を映画化した「憂国」で、彼がやってみせた方法以外には考えられなかった》
この事件報道では、朝日新聞が夕刊1面で「楯の会」隊員が乱入した総監室の現場写真を載せた。その写真には、切り落とされた2人の首が写っていた。
徳岡さんがどれほど三島と親しかったのか。ドナルド・キーンさんとの共著『三島由紀夫を巡る旅』(新潮文庫)によると、徳岡さんが最初にインタビューをしたのは、三島が密かに自衛隊に体験入隊した情報をつかんで。1967年5月、サンデー毎日の記者だった。
2度目は、徳岡さんがバンコク特派員になって、2か月後の同年10月。「ノーベル文学賞の発表がある」と本社からの手配だった。
三島はインドからの帰り、バンコクに寄った。「明らかに日本のジャーナリズムを避けるためと思われた」と綴っているが、その中にホテルに滞在している三島に《私の蔵書から『和漢朗詠集』を貸した》。
《「助かった。愛読しましたよ」と三島》
さすが京都大学文学部卒である。『和漢朗詠集』を携えて海外特派員に出る記者が他にいるだろうか。
この時の対談は、2回に分けて新聞に載った、ともある。
3度目は海外勤務から帰国してまもない70年5月。そのあと《私たちはさらに2度会い》事件当日の「最後の手紙」となる。
(堤 哲)