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2020年12月17日

柿崎明二・首相補佐官が、毎日新聞水戸支局員だった頃

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柿崎明二首相補佐官

 共同通信社前論説副委員長の柿崎明二さん(59歳)が、10月1日付で菅義偉内閣の首相補佐官に就任した。

 「権力監視を担ってきたジャーナリストが一転して政権中枢に入るとは」という批判もあるが、柿崎さんは「これまで政権批判をしてきた立場なので、批判やいろんな受け止め方があることは自覚している。私がメディアの立場だったら『(今回の転身で)国民がメディア全体に疑念を抱き、メディアへの信頼を損ねるかもしれない』と批判していたと思う」と、秋田魁新報のインタビューで答えている。

 公益財団法人新聞通信調査会の月刊機関誌「メディア展望」(12月1日号)で、元共同通信論説委員長の井芹浩文さんが「記者の転身は是か非か」と取り上げている。

 それはさて置き、私の手元に柿崎さんが書いた追悼文がある。水戸支局の記者たちがたむろした居酒屋の女将さんが92歳で亡くなって、その偲ぶ会を開いた。2015年11月のことである。

 参加28人。朝毎読、日経、産経、東京、共同、NHK、茨城、常陽、いばらき放送のほか元警察官、警察官僚→参院議員らも。

 出席トップは毎日新聞だった。佐々木宏人(65年入社)、松崎仁紀(69年)、倉重篤郎(78年)、末次省三(86年)、大平祥也(88年)、上野央絵(91年)さんに、私(堤64年)。共同通信論説委員兼編集委員で参加した柿崎さん(84年)を含めると8人になる。

 故人の畠山和久さん(64年)は開拓者のひとりで、故小畑和彦さん(68年)はブログに「飲み代はつけで、あるとき払いの催促なしだった。それどころか、飲み代を支払うとその中から私名義で貯金し、困った時に通帳を渡してくれた」。さらに「ばあさんが高齢のため店を閉めることになり、私が幹事役になりお餞別を募ると、全国に散らばった元支局員、外国特派員までがその趣旨に賛同してくれた」と、「水戸のお母さん」がいかに記者たちに慕われていたかを証言している。

 さて、柿崎さんの追悼文——。

 《おばさん、毎日新聞水戸支局時代は、本当にありがとうございました。

 サツ回りの厳しさに耐えかねて今風に言えば軽い「鬱状態」に陥っていた私が何とか乗り切れたのはおばさんのお蔭でした。

 まず記事が書けない、情報がとれない、他社に抜かれる、恐ろしい先輩に怒られる、自信喪失と緊張感でさらに仕事がうまくいかない…という若い記者が陥る悪循環。

 同じような若い記者を何人も見てきたからでしょう、何にも言わなくても、先輩方の昔話を交えてさらりと励ましてくれました。

 分かっているのに余計なことは言わない。達観しつつも思いやりのある絶妙な対応に何度も救われました。

 にもかかわらず、私はその後、転職、転勤や仕事の忙しさにかまけて、何もご恩返しをしないまま20年以上、過してしまいました。

 また、今回、おばさんがどんな人生を歩まれたのか全く知らなかったことにも我ながら驚きました。

 私は様々なことに相談に乗ってもらっていたにもかかわらず。

 「親孝行したいときに親はなし」を実の父母に続いておばさんでも実感しています。

 おばさん、本当にごめんなさい》

 そのおばさん、居酒屋「葵」の女将・石井洸子さんが、柿崎さんの首相補佐官就任を一番喜んでいると思う。

(堤  哲)