2020年12月22日
60年前、ピュリッツアー賞に輝いたのはこの写真だ
《とっさに左によってピントを15フィート(5メートル)に合わせて、シャッター・ボタンを押した。ストロボ・フラッシュが青白くチカッと光り、委員長はよろめいて、くずれるように倒れた。
その間5秒もあったろうか。”アッ、刺されたッ”という声がとび、ステージのそでから係員がかけつけた時、すべての人びとは事の重大性にきがついた》
この写真を撮影した東京本社写真部員(当時)の長尾靖さんが「新聞研究」1961年10月号に、決定的瞬間をスピグラ(スピード・グラフィック・カメラ)で捕らえたときのことを記している。
1960(昭和35)年10月12日、午後3時過ぎ。日比谷公会堂で開かれた3党首立ち合い演説会で、演説中の日本社会党の浅沼稲次郎委員長が17歳の右翼少年に刺殺されたのである。
NHKテレビはプロ野球日本シリーズを中継していた。午後3時13分、画面に「特別ニュース」の字幕が出て「浅沼社会党委員長暴漢に刺される」とテロップが流れた。
スピグラのフィルムは12枚撮り。長尾はすでに11枚を撮影、最後の1枚しか残っていなかった。《それまでに会場の全景と、西尾(民主党委員長)・浅沼委員長の演説のアップなどを納め、つぎの池田勇人首相(自民党総裁)のときにフィルム・パックを取りかえるつもりでいた》《“とにかく1枚、一番よいシャッター・チャンスをとらえなければ”緊張のなかにも、そんな考えがチラッと頭をかすめた》
長尾が撮影した写真は、有楽町にあった本社に運ばれ、夕刊1面を飾った。同時にUPI通信社を通じて世界に配信され、翌年、ジャーナリスト最高の栄誉であるピュリッツアー賞に輝いたのである。
長尾の隣には東京新聞のカメラマンがいて、ほぼ同じ場面を撮影している。しかし、評価されたのは長尾の作品で、新聞協会賞も受賞した。
30年前、朝日新聞が2人に取材して、その違いを質している。長尾は《僕のは、主役2人の陰に駆けつけた人たちが隠れているし、3党首演説会を示す3本の垂れ幕が、うまく入った。浅沼さんの眼鏡も、ずり落ちています。結果としてだけど、全く好運な場所とシャッターのタイミングでした》と語っている。=朝日新聞1990年6月5日付朝刊「30年前アンポがあった」。
長尾さんは千葉大工学部を卒業後、1953(昭和28)年4月入社。62(昭和37)年1月に退社、フリーカメラマンとなった。2009年没、78歳
この写真は私が撮影した。池袋で開かれていたカメラ機材の展覧会のあと、近くのホテルで歓談したときのもの。写真部OBの木村勝久さん(2005年没、74歳)が紹介してくれた。
(堤 哲)