2021年2月2日
「チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人」(阿部菜穂子著)がポーランド語に
拙著「チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人」のポーランド語版がこのほど、ポーランドで出版された。このことをフェイスブックに投稿したところ、毎日OBの高尾義彦さんから「ぜひ、近況報告として毎友会に書いてほしい」と依頼があった。
私は毎日新聞社に記者として14年間在籍(1981年-1995年)したとはいえ、定年まで勤めあげたわけではなく、OB (OG)とは言い難い。でも、亡父、阿部汎克も元毎日新聞記者で、毎日新聞社には親子二代でお世話になったうえ、私は退社後も同僚や先輩方との長いお付合いが続いている。今もこのようにお声をかけてくださることをとても有難く思い、「毎日ファミリーの一員」として近況報告させていただくことにした。
さて、「チェリー・イングラム」ポーランド語版は、2016年春に東京で岩波書店から出版した冒頭の日本語の本がもともとの原本である。20世紀の初めに日本の桜の虜になり、日本に3度行って桜を持ち帰りイギリスに紹介した園芸家、コリングウッド・イングラム(1880―1981 )の生涯と業績を追ったこの本は、幸運にも第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、そこから外国語版の出版へ、と話が進んだ。
まず2019年春、日本語版に新しい材料を加えて英語で全面的に書き直した「’Cherry’ Ingram –The Englishman Who Saved Japan’s Blossoms’」がイギリスの出版社(ペンギン・Chatto & Windus)から出た。これが予想以上に好評で、BBC ラジオで朗読されるなどの反響を経て、翌年、ドイツ語、オランダ語、イタリア語に翻訳された。そして今回、ポーランド語になった、という経緯だ。今年3月にはスペイン語版、来年には中国語版も出版される予定(中国語版は日本語版の翻訳)。コロナウィルスの被害が世界で広がり、出版界も大きな打撃を受ける中でこのような展開をしていることは、うれしい限りだ。日本の桜には国境を超えて人々を魅了する不思議な力があるものだと感心している。
各国語版はみな表紙が違い、イタリア語版は薄い緑の地に桜の花を優しくあしらったデザイン、ドイツ語版は花と枝、葉をやや重厚に組み合わせた構成、またオランダ語版はピンクの花模様を下地に、眼光鋭いイングラムの白黒写真を上に重ねたもの、となっている。それぞれのお国柄が出ているようでとても興味深い。
今回のポーランド語版は、これまでのどの表紙とも違って、きわめて異色である。黒地に中折れ帽をかぶったイングラムの肖像画を上乗せしたデザインで、油絵風の絵はヴァン・ゴッホの作品を思わせ、イングラムはまるで探偵のような雰囲気。ちょっとセンセーショナルで、大胆な表紙だと思う。
出版元は、かつてのポーランド王国の首都、クラコフにある「ヤゲオ大学出版」で、研究書や政治、歴史ものを多く出している硬派の老舗出版社である。日本の歴史と絡めた桜の歴史や、近代日本で桜がイデオロギーに利用された経緯を書き込んだ部分など、「チェリー・イングラム」の硬派の部分を気に入ってくれたのかな、と思う。表紙のイングラムは、伝統の桜を忘れて染井吉野一辺倒となっていく日本人に対して「多様性を大事にしろ」と警告を発しているかに見える。
意表を突く表紙の背景には、ポーランド人の国民性があるのだろうか、とふと考えた。ポーランドの歴史は、ロシアやドイツなど近隣の大国によるパワー・ポリティクスに翻弄された歩みだった。大国に蹂躙され、征服されて何度も祖国が地図から消滅した。しかし、暗い時代も決して民族の誇りを忘れず、大国の圧政に抵抗し、言語や文化を子孫に伝え続けて最後には独立を勝ち取った。希望を捨てずに耐え忍ぶという強靭な精神を国民は共有しているのではないかと想像する。
桜にも実は、2000年以上の年月の中で、人間社会の勝手な思惑に翻弄されたという過去がある。花の美しさの裏には、人間の愛憎入り混じった、きれいごとだけではない歴史があったのだ。
ポーランド語版の一見衝撃的な表紙は、桜と人間社会のそんな複雑な歴史を見通したもののようにも思えるが、考えすぎだろうか。
ポーランド人は伝統的に親日的で、両国は長く友好関係を保ってきた。ポーランドの人たちは本を読んで、どんな感想をもってくれるだろうか。反響が楽しみである。
(在英国・阿部菜穂子)