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2021年12月2日

ファッション記者市倉浩二郎さんの連れ合い、美登子さんの訃報

 ——わが友・市倉浩二郎(元毎日新聞社編集委員、1994年逝去53歳)の奥様の訃報が届きました。奥様は文化出版局「ミセス」編集長などエディターとして長年活躍された篠田美登子さんです。

 市倉さんは東京コレクション初日の夜に倒れて意識不明の重体に。集中治療室の控室で「旦那がもし死んだら、僕(太田)はいまの仕事辞めます」と話しました。そして、快復することなく友は亡くなり、私は東京コレクション主催者だった東京ファッションデザイナー協議会の議長を退任しました。

 そのとき、「もしも会社を設立するようならイッチャンの退職金を遣ってちょうだい。きっと喜ぶから」と電話をいただきました。未亡人になって心細いはずなのに。もちろん「ハイ」とは言えませんし、会社を設立するプランもありませんでした。

 姪っ子さんの話では、先日授賞式が行われた毎日ファッション大賞の冊子が届いたときは目がキリッと編集者の目になっていたそうです。いま頃イッチャンに受賞者のこと報告しているんでしょうね。合掌。 

 毎日ファッション大賞(毎日新聞社が創刊110年を記念して1983年に創設)の選考委員を務める太田伸之さん(MDコンサルタント/日本ファッション・ウィーク推進機構理事)がFacebookに書き込んだ。

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市倉浩二郎(左)と太田伸之さん(太田伸之著『ファッションビジネスの魔力』毎日新聞社刊から)

 太田さんの三重県桑名市の実家は、テイラーだった。明治大学を卒業してNYへ。ファッション情報を繊研新聞に送るとともに、アートとデザインの私立専門大学Parson’s School of Designに通った。のちに同校の講師となって、授業も受け持った。

 8年のNY生活を終えて帰国、1989(平成元)年11月に東京ファッションデザイナーズ協議会(CFD)を立ち上げて、議長に就任する。東京コレクションが始まり、ファッション記者市倉浩二郎(65年入社、社会部・サンデー毎日)と出会うのだ。

 『ファッションビジネスの魔力』に美登子さんの談話が載っている(184㌻)。

 「今日は太田と飲むぞと出かけるとき、いつも市倉は嬉しそうだったのよ。2人はよほど気が合ったのね。でも、帰って来ると決まってグデングデンだったけど」

 市倉の葬儀は、社会部旧友大住広人さん(1961年入社)と太田さんの2人ですべてを仕切った。太田さんは、今でも「桜の季節は市倉を思い出すので好きでない」という。

 太田さんはCFD議長を退任したあと銀座の松屋デパート東京生活研究所所長→2000年イッセイミヤケ社長→2011年松屋常務執行役員、MD戦略室長→海外需要開拓支援機構(クールジャパン)社長→18年退任。(株)MD03設立。

 毎日新聞のHPで毎日ファッション大賞を検索したら、太田さんが創設に関わった「鯨岡阿美子賞」(毎日新聞の元ファッション記者)の候補者に名前があった。

(堤  哲)