2022年2月4日
きっかけは「毎中」への投稿と毎日芸術賞の高橋睦郎さん

ホテル椿山荘で2月3日、行われた第63回毎日芸術賞の贈呈式。詩集「深きより 二十七の聲」で受賞した文学Ⅱ部門の高橋睦郎さん(84歳)は毎日中学生新聞(2006年休刊)に詩や短歌などを投稿していた経験に触れ、「僕を育ててくれた毎日新聞からの最高のご褒美に言葉もありません」と語った(毎日新聞2月4日朝刊)。
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「毎日中学生新聞で育った文化功労者・高橋睦郎さん」
これは、2018年1月14日(日)の日本経済新聞文化欄に高橋さんがエッセーを書いたときの見出しである。高橋さんは、その前年に文化功労者に選ばれ、日本芸術院会員にもなった。そのエッセーにこうある。
《(中学校で文芸部に入り)私はいつか詩作の真似事に熱中し、母が取ってくれていた毎日中学生新聞の投稿欄に送った。詩だけでなく、短歌も、俳句も、ついでに作文も投稿した。
それらすべてを通して入選・入賞回数が1位。選者の先生がたの煽(おだ)てに乗って、3年生の頃には詩作の習慣は抜けられないものになり……》
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《短歌、俳句、作文の欄でも入賞が続き、三年に進級する頃には西日本の少年文壇のちょっとした星だった》

これは『高橋睦郎のFriends Index友達の作り方』(マガジンハウス1993年刊)を建築評論家植田実が画廊「ときの忘れもの」のHPで紹介しているものだが、画廊「ときの忘れもの」オーナー綿貫不二夫さん(76歳)=写真=は1969年入社の元毎日新聞販売局社員だ。出版写真部OB平嶋彰彦さん(75歳)のエッセー《「東京ラビリンス」のあとさき》も綿貫さんのHP連載URL http://www.tokinowasuremono.com である。
植田のエッセ―を続ける。《週に数通は来ていたというファン・レターのなかに大人の文字の葉書があり、差出人は、山口県萩市明倫小学校柳井正一。生徒ではなく先生で、彼は上記の新聞(注:毎日中学生新聞西部版)などで目をつけた少年たちと連絡をとり、西日本少年文壇の同人誌を作ろうとしていた。それは1952年の大晦日に実現した。40ページの『でるた』という冊子である。そこに作品を寄せている「俊秀たち」を、高橋は「アトランダムに名前を挙げれば、日野孝之、八尋舜右、植田実、小田亨…」と10人ばかりを列挙し、「八尋舜右氏は現在朝日新聞社図書出版室長、植田実氏は建築評論家、…」といま知られる消息が紹介されている》
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朝日新聞に東日本大震災から1年後に高橋さんが自作を朗読したという記事があった。その詩を紹介したい。
いまは 高橋睦郎
言葉だ 最初に壊れたのは
そのことに私たちが気づかなかったのは
崩壊があまりにも緩慢だったため
気づいたのは 世界が壊れたのち
亀裂や陥没を せめて言葉で繕おうと
捜した時 言葉は機能しなかった
私たちはようやくにして知った
世界は言葉で出来ていたのだ と
言葉がゆっくりと壊れていく時
世界も目に見えず壊れていったのだ と
*
壊れた世界を回復するのだ といって
そのための言葉が機能しないから といって
たぶん あせらないほうがいい
時間をかけて壊れた言葉は
時間をかけてしか回復しない
壊れたのなら 自分が回復する
などと 過信しないほうがいい
知るがいい 言葉が壊れた時
きみじしんも壊れたのだ と
きみもまた 言葉で出来ていたのだ と
*
いま思い出すべきは きみの未明の時
きみの内なる闇に 一つの言葉が生まれ
生まれた言葉が 別の言葉を呼び
言葉たちが手をつないで 立ちあがった
その時 幼いきみが怖ず怖ず立ちあがり
幼い世界が危なっかしく立ちあがったのだ
その時 きみはあせらなかった
あせることなど知らなかった
きみのその時を思いおこすがいい
きみはいま あの時と同じ未明にある
*
科学者たちは言う
big bangによって世界は始まった と
もし その推論が正しいなら
世界は崩壊によって始まったのだ
始まった世界はゆっくりと立ちあがっていったのだ
私たちの認識によって言うなら 言葉によって
始まった世界はあせらなかったろう
時間に委ねて ゆっくりと待ったろう
言葉によって 自らが立たしめられるのを
そのことに準って 私たちも待とう
*
うたわなければならない と きみは思う
しかしうたい出せない と きみは嘆く
たぶん うたい出せないのは 啓示
壊れたきみと壊れた世界への 待てのシグナル
きみは闇とともに眠り 光とともに起き
日日の働きの中で 忍耐づよく待つがいい
自分の中でいつか一つ しばらくして一つと
言葉が目を覚まし 立ちあがるのを
たぶん いまは世界の終わりで始まり
私たちは老い 同時に生まれたばかり
(堤 哲)