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2023年3月10日

「芳幾・芳年」展(三菱一号館美術館)と東京日日新聞など

 三菱一号館美術館で開催中の「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」(4月9日まで)展に、明治時代銀座通りの名物だった「日報社」社屋を描いた作品が展示されていた。

 山田年忠画「銀座街之夜景(写真は図録から)」。「日報社」の文字はガスによるイルミネーションにより夜でも浮かび上がって見えることが評判であった、と説明にある。銀座のランドマークだったのだ。

 落合芳幾は、1972(明治5)年に「東京日日新聞」を条野伝平、西田伝助と3人で創刊した。創刊の地浅草から銀座煉瓦街に進出したのは74(明治7)年2月。その3年後の77(明治10)年1月銀座の真ん中に移転した。銀座2丁目→尾張町1丁目(現銀座5丁目)へ。

 「東京日日新聞」は、呉服店「蛭子屋」跡を入手、1909(明治42)年3月に有楽町へ移転するまで32年間銀座に本拠地を置いていた。

 幕末を代表する浮世絵師、歌川国芳(1797-1861)の門下で腕を磨いた歌川(落合)芳幾(1833~1904)と月岡(大蘇)芳年(1839~92)。良きライバルとして人気を二分した。

 新聞錦絵のコーナーは、写真撮影可。以下は芳幾の「東京日々新聞」。

 これは館内に貼り出された感想。

 「芳幾の洒落」のコーナーも撮影可。「当世娘に聟八人」がこれだ。

 そういえば「東京日日新聞」主筆・福地源一郎(桜痴)の肖像画も飾られていた。

 三菱一号館美術館は、この「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」展終了と同時に休館、修繕工事に入り、2024年秋、再オープンする予定だ。

(堤  哲)