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2024年4月30日

新婚旅行を中止して、取材現場に戻った元社会部、小畑和彦さん

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 65入社元大阪社会部藤田修二さんから。

 ——元朝日記者、樋田毅さんの『彼は早稲田で死んだ』(文春文庫2021年刊、大宅壮一のンフィクション賞受賞)が文庫化されたのを機に読みました。

 革マルに支配された早稲田から暴力を追放しようとした樋田氏のいわば体験記ですが、文中小畑和彦君=写真=が3度出てきます。小畑君は1972-73年当時の早稲田を取材していて、樋田さんにも会って記事にしているのですね。もちろん他紙の記者も樋田さんに会っているのですが、名前が出て来るのは小畑君だけです。

 樋田さんは朝日を受験して78年に入社するのですが、最後に小畑君が登場するのは以下の通りです。

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 「朝日新聞に入社し、初任地が高知支局に決まると、私は早稲田で取材を受けた毎日新聞の小畑和彦さんに連絡を取った。記者として働き始める前に、この仕事を志すきっかけにもなった小畑さんに会って挨拶しておきたかったのだ。彼は大阪に転勤しており、高知へ向かう途中に立ち寄ると、私が新聞記者になったことをとても喜んでくれて、『あの時代をよく生き延びたね。記者の仕事は大変だけど、面白いぞ』と励ましてくれた」

 新旧分離後、東京から中安宏規さんと共に大阪へ来た小畑君とは仲良くしていたのですが、以上のような話は聞いたことはありませんでした。 小畑君が存命ならこの本を読んでどう思うでしょうね。映画化も進んでいるそうです。

 小畑は、68入社で初任地が水戸支局。私(堤)は長野支局から67年に水戸支局転勤、65入社佐々木宏人と私、小畑と3人で同じ下宿にいて、毎晩のように3人で水戸の繁華街を徘徊していました。

 小畑が体を壊して入院中、見舞いに行ったら「ツーさんに酒を教わらなければ」とウラミ節をいわれたことがありました。

 この事件が発生したとき、小畑はサツ回りで早稲田大学は自分の持ち場。新婚旅行中で、旅行を中止して1人現場に戻って取材を始めた、とブログに書いています。

 ——これは藤田修二さんへの返信。

 小畑和彦さん2012年4月1日没67歳

新聞への思い 5(上) - 新聞記者になりたい人のための入門講座 (goo.ne.jp)

新聞への思い 5(下) - 新聞記者になりたい人のための入門講座 (goo.ne.jp)

この間の経緯は、小畑クンのブログに詳しい
元社会部長清水光雄さんも、毎友会HPに寄稿している。

社会部記者はすごい――『彼は早稲田で死んだ―大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読み、小畑和彦さんを偲ぶ - 毎友会 (maiyukai.com)

(堤  哲)