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2024年8月6日

「野球7回制」は、102年前「サンデー毎日」創刊号で特集していた

 野球の試合を「7回制」に短縮できないか。その検討を日本高校野球連盟が始めたことが話題になっているが、野球文化學會が発行する『ベースボーロジー』第2号(2001年発行)に、54入社鳥井守幸さん(92歳)が「野球7イニング考」を書いている。

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「大正11年の面妖な論争7イニング制可否」掲載の『ベースボーロジー』第2号

 鳥井さんは「サンデー毎日」編集長を務めたが、1922(大正11)年4月2日創刊の日本最古の週刊誌「サンデー毎日」は、創刊号から4号にわたって野球「7回制」の可否を連載している。102年前のことである。

 野球文化學會の創設メンバーである鳥井さんは「創刊時の編集長は、何を考えたのだろうか」といぶかりながら、この大特集を分析・検証したのである。

 まず、特集の前書き。《野球試合を七回勝負にしようといふ運動は昨秋頃から本塲の米國で開始され、段々と有力になってゐるが、その可否に就いては色々と議論があって、カレッジ及びマイナー・リーグ以上には容易に實現はむつかしい形勢である。然しこれを日本に於て實行してみたらどうか、日本人の體力を考へる時或はこれは適切ではなかろうかといふ考から今回斯界の各方面の士に賛否の意見を徴した》

 そして、《我々は特に中等學校以下にこれが實行を提唱する》と以下の理由をあげた。

① 大抵の試合は7回までで大勢を決している。

② 回数が短いほどゲームが緊張する。

③ 投手の肩を考える時、7回が適当ではないか。7回にすれば、投手は最初から全力を尽くして戦えるだろう。

④ ドロンゲーム防止(試合時間短縮)

⑤ 野球の大会で一日に挙行する試合数を増やすことが出来る。

⑥ 試合開始時間を現在より遅くすれば、観客(学生や会社員)に便利ではないか。

 もっとも、現在夏の甲子園大会で一番問題になっている「酷暑」対策の観点はない。

 鳥井さんの考察によると、9インニング制は、1857(安政4)年5月の野球規則改正で採用された。従来の「いずれかチームが21点を記録した時、試合は成立する」では、試合時間の見当がつかず「9インニングの攻防が妥当」というのが採用の理由だった。

 むろんすべて米国での話で、1874年プロ選手協会が10インニング制、一、二塁間にもう一人野手を置く10人制を決めたが、1年足らずで廃止され、9インニング・9人制に逆戻りして今日に及んでいる、という。

 この特集を書いた記者は不明としているが、「サンデー毎日」を創刊した大阪毎日新聞社は、「大毎野球団」を持っていた。「大毎」vs「東日」の社内懇親野球がきっかけで、1920(大正9)年結成、初代監督は群馬県富岡中学で捕手をしていた阿部真之助(元NHK会長)だった。

 その後、東京六大学の主に慶大、明大選手を記者として採用、日本で一番強い実業団の野球チームとなった。25(大正14)年にはアメリカ遠征をして、当時の第30代クーリッジ大統領を表敬訪問している。メンバーはキャプテン☆腰本寿、投手☆小野三千麿、新田恭一、渡辺大陸。捕手森秀雄。内野手に☆桐原真二、内海寛、外野手に高須一雄、菅井栄治ら(☆印は野球殿堂入り)。

 連載第4回では、「大毎野球団」投手小野三千麿、内野手日下輝、外野手懸山憲一(いずれも慶應義塾卒の名選手)の鼎談を掲載した。「7回制を野球規則として採用することには反対しよう」と結んでいる。

 《論戦に登場した人物は19人。この中には飛田忠順(穂洲)、河野安通志、市岡忠男、橋戸信(頑鉄)ら一流の野球人たちが顔を揃えている》と鳥井。

 この4人とも早大野球部の草創期の選手で、全員が野球殿堂入りしている。

 鳥井の結論——。

 やはり野球は九イニング制がよくにあうようである、として野球好きの俳人・歌人正岡子規の「ベースボールの歌」から次の2首をあげている。
 九つの人 九つの場を占めて ベースボールの始まらんとす
 九つの人 九つのあらそひに ベースボールの今日も暮れけり

 鳥井さんは野球大好き人間で、野球グッズを集めてマンションの一室に私設博物館?をつくっていた。週刊ベースボールマガジンにコラムを連載、著書に『野球ふしぎ発見!』(毎日新聞社1998年刊)』。1998年に起きた福岡ダイエースパイ事件では、パ・リーグ特別調査委員を務めた。

 野球文化學會」は59入社・整理本部の鬼才諸岡達一さん(87歳)が、野球を「歓喜の学問」にする、と謳って創設、1999年10月論叢集「ベースボーロジー」第1号を発刊した。田村大五(ベースボールマガジン編集長)、記録の神様・宇佐美徹也(パ・リーグ記録部)ら外部識者に、鳥井や原田三朗(元毎日新聞論説委員)など毎日新聞の草野球メンバーが加わった。

 2024年発行の「ベースボーロジー」第17集には、70入社松崎仁紀と64入社の私(堤)が執筆している。

(堤  哲)