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2024年12月11日

ノーベル平和賞田中熙巳さんへ松村明さんがメッセージ

 日本被団協 代表委員

 ◉名前:田中熙巳 たなかてるみ 
 ◉生年と被爆時年齢:1932(昭和7)年 当時13歳
 ◉被爆地:中川町の自宅
 ◉爆心地からの距離:3.2 Km
 ◉被爆の瞬間: 警戒警報中、私は2階で本を読んでいた。爆音が聞こえ、B29と分かり窓から空を見たが雲で分からず、振り返った瞬間、体の周りが真っ白く光った。危険を感じ、階段を駆け降りて伏せた瞬間気を失っていた。母が呼んでいる声で気がついたら、ガラス戸が私の上に乗っていた。ガラスが割れることもなく、怪我はなかった。
 ◉その後の記憶:3日後、伯母さんのいる岡町(爆心付近)へ行ったが家も何もなく、念入りに探し、やっと黒焦げの遺体を確認。近くにいた親戚の家はペシャンコ、骨のみに号泣した。爆心地の浦上を歩き、情景が何もなくなっているのが忘れられない。
 ◉伝えたいメッセージ: 核弾頭は一発でどれほどの被害があるか、いま世界には何万発もあることをみんなに知ってもらいたい。核兵器は絶対に使われないように、またなくすことに全力を尽くして欲しい。

 「核と人類、共存させてはならない」。ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)田中熙巳(てるみ)代表委員(92歳)は10日、受賞後の演説でこう訴えた。

 69入社、写真部OB松村明さん(78歳)は、Facebookにお祝いのメッセージとともに田中さんをはじめ被爆者の顔写真をアップした。

 松村さんは、写真集『閃光の記憶—被爆75年』(長崎文献社2020年刊)で爆心から5㌔以内で被曝した53人の顔写真を掲載している。「閃光、熱線、爆音、爆風そして放射能、この特異な体験をされた方々のお顔、目から何が見えて来るかを写し止めたい」と思ったという。

(堤  哲)