2024年12月16日
「甲子園ボウル」立命館大が優勝、第1回の観客は7百人だった
第79回毎日甲子園ボウルは15日、阪神甲子園球場で行われ、立命館大(関西1位)が法政大(関東1位)を45-35で降し、9年ぶり9回目の学生日本一となった。
つい最近、Facebookに第1回大会のパンフレットが載った。1947(昭和22)年4月13日開催で、慶應義塾大が45-0の大差で同志社大を破った。観客は700人だったと、大毎運動部の担当記者・葉室鐵夫(1936年のベルリン五輪200m平泳ぎ金メダリスト、2005年没88歳)が書き残している。
葉室は46(昭和21)年入社だが、当時大阪本社代表で編集局長も兼務していた本田親男(元毎日新聞社長・会長、1980年没80歳)が運動部にやって来て「アメリカで最も人気のあるアメリカンフットボールの最高の試合を主催できないか」と注文を出した。
甲子園球場は、米軍に接収されていた。駐留軍との折衝は、ハワイ生まれの日系二世、社会部記者の今村得之らが当たるのだが、その結果、甲子園球場の接収解除がセンバツからとなった。戦中・戦後中断していたセンバツが6年ぶりに復活、第19回全国選抜中等野球大会(3月30日~4月7日)が終了して1週間後に「甲子園ボウル」開催となったのだ。
今村は慶大時代にアメフトの全日本学生選抜チームに選ばれて米国遠征をしている。今村のことはこの毎友会HPで紹介した(https://maiyukai.com/essay/20240805 )。
「甲子園ボウル」が甲子園球場の接収解除を早めたことは間違いない。
水泳の金メダリスト葉室は「水泳のシーズンが終わってヒマだろう」という理由で、アメフト記者にさせられた、とも書いている。
=敬称略
(堤 哲)