2025年1月6日
「同志社スポーツ」の創始者は、元常務秋山哲さん
同志社大OB秋山哲さん(90歳)から新年に届いたメールにこうあった。
《私は大学に入ってバレーボール部のサブマネになりますが、1年の秋から体育会本部に移り、4年で体育会委員長になります。その間に、「同志社スポーツ」新聞を創刊しました。昭和30年、1955年です。年に5-6回の発行でしたが、タプロイド版6㌻とか12㌻とかを出していたと思います。立命との野球の定期戦が重要で、同立戦の翌朝、校門のところでその結果を報じる新聞を配布するという苦労をしたのも懐かしい思い出です》
《おそらく大学のスポーツ新聞としては全国最初だったのではないでしょうか。創刊号から20何号かまでは同志社大学図書館に寄贈して保存してもらっています》
《かなり年数がたってからこの新聞の後継紙として「同志社アトム」が生まれ、それが今も発行されています》
私(堤)が、学生時代「早稲田スポーツ」新聞(1959年創刊)の記者をしていたことを年賀状に書いたことに対するレスポンスだった。
「同志社スポーツ」が、学生スポーツ紙の先駆けだったのか。
残念ながら「同志社スポーツ」の2年前、「駿台スポーツ」(現「明大スポーツ」)が1953(昭和28)年7月1日付で創刊している。
それを伝えると、《そうですか、明大スポーツは昭和28年創刊ですか。私が大学入学の年です。しかし、早稲田よりは早かったということになります。
新島襄の時代にスポーツが盛んだったことを取り上げたり、歴史的写真をまとめたり、ハンマー投げの日本記録保持者で芦屋市長だった猿丸吉左エ門などの先輩訪問インタビューをしたり、結構面白い新聞作りをしました。自分史にとっては重要な部分です》と。
秋山さんは57年入社。大阪本社経済部長、同編集局長。そのあとの経営企画室長時代に「新聞革命」を実行、題字を変えて色を付け、紙面のレイアウトも刷新した。常務取締役を退任したあとは大学教授。現在は絵を描き、小説を書いてデジタル出版していることは、このHP新刊紹介に掲載している。
(堤 哲)