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2025年1月23日

故種村直樹さん執筆の『鉄道ジャーナル』誌が休刊社告

 『鉄道ジャーナル』が3月号表紙裏に「4月21日発売の6月号をもって休刊します」との社告を出した。まず頭に浮かんだのは、東京本社社会部で退職してレイルウェイ・ライターとして独立した種村直樹さん(2014年没78歳)だった。

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『鉄道ジャーナル』2025年3月号社告
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種村直樹さん

 『鉄道ジャーナル』は、1967(昭和42)年創刊。最新の3月号は701号である。

 種村さんは、京都大学新聞の学生記者から1959(昭和34)年入社。高松支局→大阪社会部→中部報道部。ここで名古屋鉄道管理局を担当したことから鉄道記事を書き始めた。

 70年2月東京社会部へ。まず渋谷警察署担当のサツ回り。その前任が5年後輩の私(堤)だった。遊軍から国鉄本社担当となり、記者クラブ「ときわクラブ」在籍。72年10月鉄道開業100年特集を1人でこなした。

 社会部の部内異動で国鉄から国会担当が内示され、その異動をめぐるトラブルで翌73年退社、レイルウェイ・ライターとして独立した。

 『鉄道ジャーナル』誌に原稿を書くようになったのは、同誌のカリスマ編集長竹島紀元さん(2015年没89歳)との出会いだ。鉄道100年、毎日新聞創刊100年の1972(昭和47)年、当時国鉄旅客局営業課長だった須田寛さん(初代JR東海社長)の紹介だった。

 竹島さんが思い出を綴っている。種さんが独立して20周年記念『気まぐれ列車は今日も行く—レイルウェイ・ライターの20年―』(1993年、非売品)に、である。

 《初対面で意気投合し、その場でさっそく取材・執筆を依頼をお願いしました(1972年7月号の列車追跡「新・特急“さくら”西へ」・同年8月号「“TEE”ヨーロッパ特急」)。

 それから間もなく毎日新聞社を退職しレイルウェイ・ライターとして独立されました。その勇気ある転身にはびっくりしましたが、“社会派鉄道誌”を目ざしていた『鉄道ジャーナル』誌としては願ってもない偉大な戦力の出現であり、メイン記事の取材・執筆を担当していただくことになり、「ブルー・トレインものがたり」(1973年7月号)、「振子電車ものがたり」(同年9月号)、「現代日本を支える輸送の心臓」(同年10月号/ワイド現場ルポ)を次々と発表されました》

雑誌の休刊は、廃刊を意味する。泉下の種さんはどう思うか。竹島さんとの仲を取り持った須田寛さんも、2024年12月13日に亡くなった。93歳だった。

(堤  哲)