2025年2月28日
東スポのドン太刀川恒夫名誉会長が亡くなった。88歳
25日発売の「東京スポーツ」新聞を見て、びっくりした。太刀川恒夫名誉会長の訃報とともに、本人のメッセージが載っていたからだ。
お別れのご挨拶
私儀 二月十三日冥土へ旅立ちました。
顧みれば昭和十二年横浜に生まれ、敗戦の年には横浜の大空襲に遭遇、社会人になってからも、やや特異な体験を重ねる中で、ロッキード事件の片隅にも連座するなど心休まることの少ない人生でありましたものの、そんな中にありながらも素晴らしい多くの先輩方や友人諸氏に恵まれての人生はやはり楽しくも幸せなそして感謝すべきものでありました。これは偏に皆様のお陰と心より感謝申し上げる次第であります。
なお、私は少々思うところあって葬儀、その他これに類する行事は一切行わないよう申し渡してございます。
真に勝手ながら弔意を頂戴する事のなきよう、固くお願い申し上げます。
永きに亘るご指導ご侠援本当に有難うございました。
太刀川 恒夫


太刀川さんは、児玉誉士夫の秘書をしていた。ロッキード事件で逮捕された。1976(昭和51)年7月2日、大安。毎日新聞社会部著『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社77年2月刊)『児玉番日記』(毎日新聞社76年刊)に、前夜からの情報・取材班の動きが詳細に載っている。戸籍謄本は「大刀川」で、毎日新聞は「太」でなく「大刀川」で報道した。
《午前一時。警視庁キャップの森が「明日は大刀川が逮捕されることは間違いない。朝早いからそろそろ帰ろうや」と腰を上げた。夜回りから上がってきた堤が写真部に行き、大刀川の顔写真を出稿しておいてくれと頼んだ》=『毎日新聞ロッキード取材全行動』。
《午前六時ごろ捜査員が隠密行動で某所に集まり、大刀川をタクシーで警視庁に連れて行ったという》=『児玉番日記』。
◇
私(堤)はロ事件で児玉番をしていた。太刀川さんに初めて会ったのは、数寄屋橋にあった児玉事務所だった。97年に55歳繰定で東日印刷監査役として越中島に通うようになって、同じビル内に太刀川さんが社長の「東京スポーツ」新聞社があった。
ツーショットの写真は、私がホールインワンを記録したときのパーティーで、ゴルフ好きの太刀川さんが祝辞を述べているところである。
太刀川さんには、何回もロ事件の真相を聞こうと持ちかけたが、ノーコメントだった。
同じビルにスポーツニッポン新聞社があって、社長・会長を務めた牧内節男さん(ロ事件当時の毎日新聞社会部長)も「もう本当の話をしてもよいだろう」と太刀川さんに迫ったが、口を開かなかった。
太刀川さんは1990年に「東スポ」社長となり、2007年会長、2023年9月から名誉会長を務めていた。秘書の人によると、太刀川さんは20年前からこの「お別れの挨拶」を用意していたのだという。
(堤 哲)