2025年11月20日
クロスワードパズルの始まりは「サンデー毎日」
「見ると解きたくなるパズルの定番、クロスワードパズルが日本に登場して、今年で100年」。朝日新聞が13日付夕刊1面トップで特集していた。
クロスワードパズルは、「サンデー毎日」大正14(1925)年3月1日号で紹介したのが始まりである。

3月1日号で《新智識遊戯『篏め字』》としてクロスワードの遊び方を紹介、翌週の3月8日号で実際に問題を載せて連載を始めた。
そして第5回4月5日号から懸賞募集、6月7日号では大々的に募集し、応募44,586通、うち正解29,852通だった(6月20日号)=野村尚吾著『週刊誌五十年 サンデー毎日の歩み』(毎日新聞社1973年刊)。野村は「毎日新記者生活の3分の2を『サンデー毎日』で過ごした」といっている。67(昭和42)年に定年退職後も嘱託として「サンデー毎日」に関わっていた。75年没63歳。
《このクロスワードパズル熱は、翌年まで持ちこし、だいたい一年ほど続いたが、翌十五年からは姿を消し、再燃するのは戦後である》と同書は続けている。
仕掛け人は誰か。
《この企画を紹介したのは、新入社まもない阪本勝(戦後に兵庫県知事)で、米誌からヒントを得たのはいうまでもない。そして協力者は、新に編集員に加わった石川欣一や、凝り性の前田三男だといわれている》
元兵庫県知事阪本勝(1899~1976)が出てきたのに、びっくりだ。経歴を調べると、1923(大正12)年に東大を卒業、福島県立福島中学の教諭のあと、大阪毎日新聞(大毎)の学芸部記者となったが、「水平社問題について」演説したことから退社、27年4月には関西学院大の講師になっている。
同書は「阪本勝は、このクロスワードパズルの紹介と、『放送』という言葉を初めて翻訳語として使用したのを自慢している」と続けている。
石川欣一(1895~1959)は、東大→米プリンストン大学卒→1920年大毎学芸部。戦時中マニラ新聞出版局長として出向。45(昭和20)年12月に帰還して、即出版局長に就いた。「昭和20年9月6日、北部ルソン、カピサヤンにて新聞報道関係者23名の先頭に立って米軍に投降」と書き出した『比島投降記』(大地書房1946年刊)は、46年2月から「サンデー毎日」に連載したものだった。「サン写真新聞」社長も務めている。
前田三男(1898~1956)は、関東大震災が起きた時、大阪から水上飛行機で品川沖に着水、翌日に戻って「サンデー毎日」9月16日号の関東震災号に「死の都東京を訪れて」と題したルポを掲載している。41年8月から42年8月まで「サンデー毎日」編集長、その後出版局書籍部長。
当時の「サンデー毎日」編集部は大毎学芸部が担当していた。異才がたくさんいた。
朝日新聞の記事は、パズルの会社ニコリによるが、「サンデー毎日」は、現在もこのニコリ社制作のパズルを連載している。
=敬称略
(堤 哲)