2026年1月21日
「サンデー毎日が見た昭和100年」最終回
発売中の「サンデー毎日」2月1日号に「サンデー毎日が見た昭和100年」最終回が載っている。
筆者堀和世さん(61歳)は、東大教育学部卒、89年入社。91~94年青森支局に勤務しただけで、ほぼ一貫してサンデー毎日編集部、2020年3月に退職した。肩書は、ライター。
初仕事が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。《そもそも新聞社に入ったら、すぐに「社説」を書けると信じていたから(業界研究の欠落)、事件現場を当てもなく歩きながら泣きそうになった。「仕事選びを間違えた」と心の底から後悔した》
《それでも続いたのは若さが持つレジリエンス(復元力)が一つ、もう一つは現金な話だ。毎晩仕事が一段落すると先輩記者に「飯、行くか」と誘われる。……入社1年目、週6日(まだ週休2日制ではなかった)は夕食には一円も使わなかった》
そのあと井上靖の「サンデー毎日記者時代」(1961年4月2日号)から《サンデー毎日の発行部数など気にかける者は一人も居なかった》と引用、さらに75年8月31日号「暴露特集 週刊誌の内幕」。サンデー毎日を含む週刊誌7誌の編集長に「週刊誌って何でしょうか!?」と問いかけ、その答えを紹介している。
「週刊文春」編集長・半藤一利。当時45歳とある。《週刊誌を〈“唯一の正義”の味方の敵、あるいは“互いに矛盾するすべての正義”の味方〉と定義し、自らを読者にとって〈たった150円で傭えるダメな私立探偵〉と表現した》
最後に当時のサンデー編集長二宮徳一(53年入社、1988年没57歳)が登場する。私(堤)が社会部遊軍になった時の遊軍長。東大出の温厚な紳士だった。
《アンチテーゼとしての生活必需品とでもいいましょうか》
手に取って、読んでみて下さい。
(堤 哲)