新刊紹介

2019年10月7日

「ストライキ消滅―――『スト権奪還スト』とは何だったのか」(大橋弘、風媒社)

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 今という時代を考える時に、振り返らずにはいられない出来事がこの半世紀の間でもいくつかある。半世紀近く前の1975年11月、日本ほぼ全域で、国鉄といわれたJR全線が、ストライキ権の確立を要求して国労などの労働組合のストライキによって8日間もストップする事態を引き起こした「スト権奪還スト」も、当時を経験した人々にとっても、その一つではないだろうか。当時、毎日新聞労働担当記者だった大橋弘先輩が、その歴史的意味を振り返ろうとしたのが本書である。

 リーダーだった富塚三夫(当時国労書記長)、富塚の後継者だった武藤久・元国労委員長の二人のインタビューを中心にしつつ、動労や総評の労働界、政界、国鉄当局の動きも要領よくまとめられ、当時の全体の構図、動きがよくわかる。

 大橋先輩よりはるか遅れて労働担当記者となった私にとっても、直接知る人々も多く登場してくる。何より懐かしい。そういうことだったのか、と思い知らされる事実もいくつかあった。

 スト権ストについては様々な動き、思惑が交錯した。自民党の中でも、公共企業体労働者へのスト権付与やむなしという立場の議員もいた中で、総評の中核である公労協は一枚岩ではなかった。総評解体の後、連合の初代会長となった山岸章(当時は全電通書記長で、国鉄や電電公社、郵便など公共企業体の労働組合で組織する公労協の代表幹事)が、ストライキを中止しようという動きが強まる中で、「今さらもたないと泣き言をいったところで知ったことではない」とスト中止に反対した、という。来るべき民営化の波を見越して、国労主導のストライキには、表向き賛同しながら、労組内でもそれぞれの企業体、労組の生き残りをかけた冷ややかな動き、見方があったことを同書は教えてくれる。

 スト権ストは、スト権奪還という目的は達せられないままに終わった。それだけではない。その後の中曽根康弘による行革臨調路線が進められる中で、国鉄をはじめとした公共企業体も民営化、総評の中核となった国労や全逓、全電通などの公労協、総評も解体され、労働運動の統一という名の下で、連合が1989年結成され、戦後の55年体制の一翼である社会党を支えた総評が解体されたことで、55年体制も崩れ、政界再編も進んだ。

 その結果、何をもたらしたのか。連合は労働者代表として、政府の審議会に参画するようにはなったが、派遣労働、非正規労働の広がりに歯止めをかけられず、実質賃金もなかなか引き上げられない。労働組合の存在感は薄れ、日本社会の格差は広がるばかりである。それは連合のせいだけではもとよりないが、拮抗力としての労働組合の役割は今こそ必要ではないか。

 スト権ストを打ち抜いた国労に戦略や展望はなかったかもしれないが、社会を巻き込んで異議を申し立てようとした労働組合があった歴史的事実は時折思い出されてもいい。それを大橋先輩は教えてくれた。

山路 憲夫(白梅学園大学小平学・まちづくり研究所長、元社会部、論説委員)