2019年11月11日
堤哲編著『早慶戦全記録』が面白い、と銀座一丁目新聞
94歳牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」11月10日号、安全地帯は《『早慶戦全記録』―伝統2大学の熱すぎる戦いー出版される》。信濃太郎のペンネームで次のように紹介している。http://ginnews.whoselab.com/191110/safe.htm
―—今年の秋の6大学野球大会・早慶戦は慶応が連勝すれば10戦全勝で昭和3年の秋以来91年ぶりの快挙という記録が期待されていた。ところが弱いチームが勝つというジンクス通リ早稲田が2勝1敗で勝ち、慶応は優勝したものの全勝優勝の夢が潰えた(慶応7-1早稲田、慶応4-6早稲田、慶応3-4早稲田)この結果、早稲田の242勝、慶応197勝、12引き分けの成績となった。堤哲編著『早慶戦全記録』(啓文社書房・令和元年11月30日初版発行)を見ると、昭和3年秋のリーグ戦で慶応が早稲田に2-0,4-0で連勝。10戦10勝の偉業を立てた。慶応は記念にブルー・レッド&ブルーのストッキングに白線を入れた。一方、早稲田は『若き血』に対抗できる歌を全校から募集、高等師範部3年住治男の『紺碧の空』が選ばれ21歳の古関裕而が作曲した。
表紙の宣伝文句は記す。「早慶戦は国民的スポーツだーフレンドリー・ライバルは、野球部に限らず誰もが早慶戦にこだわりを持っていた。早慶両校の現役運動部学生・OB・関係者協力の下、戦災や諸事情で散逸した記録を収集。野球を始めとした40種目全ての早慶戦勝敗データを収録した画期的な一冊」という。
「全種目の早慶戦の記録」がいいところだ。ちなみに早慶戦が6大学リーグ戦の最後に試合をするようになったのは橋戸頑鉄(野球部第2代キャプテン・都市対抗野球生みの親)の提案により昭和7年秋から実施され、一時中断があって昭和10年秋から固定した。
安部磯雄(1865年-1942年・同志社大学卒)といえば社会主義者だが学生野球の父と言われる。早稲田大学野球の創設者で初代部長を務める(明治34年)。昭和34年他の8人とともに野球殿堂入りした安倍は『スポーツマンシップはフェアプレーの精神にある』と説いてやまなかった。今年100歳を迎えた早稲田OB大道信敏(旧姓中島)の健康法は毎朝富士に向かって「日本棒球の父安倍磯雄を称ふ」という漢詩を吟じることだという。
大東亜戦争のさなか、学徒出陣壮行の早慶戦が行われてことを書かねばなるまい。昭和18年10月16日戸塚球場である。小泉信三塾長の発意で飛田穂州を介して早稲田野球部に申し込まれた。はじめ早稲田側は軍部、文部省に気兼ねして及び腰であった。試合は早稲田大学側の許可が降りぬまま実施された。小泉塾長は特別席への案内を断って学生と一緒に応援した。試合は早稲田の勝に終わったが慶応の学生たちは観客席の新聞紙を全部かごに収め始末した。当時出場した選手から早稲田川から近藤清、吉江一行、水谷利幸が戦死している。早稲田・慶応の野球選手の戦死者は早稲田34人、慶応20人に及ぶ。剣道の早慶戦は大正14年に始まる。戦後は占領軍の剣道禁止で復活したのは昭和30年である。戦前の最後の早慶戦は昭和18年6月1日、慶応の綱町道場で行われた。慶応が11-9で早稲田を破った。この時、10番目に出場した慶応の坂本充選手は海軍予備学生13期生として出征、昭和20年4月6日、神風特攻隊第一草薙隊(指揮官・高橋義郎中尉・海兵72期)の沖縄特攻に99式艦爆49機とともに参加、米軍の輸送船団に突入戦死した。社会党の浅沼稲次郎委員長(1960年10月12日日比谷公会堂で演説中に右翼の少年に刺殺される)が早稲田の相撲部員であったとは初めて知る。勝ち負けの記録も貴重だが各部のエピソードが面白い。吉永小百合が早稲田のラグビーファン。毎年「牛1頭」をラグビー部へ寄付している。吉永さん(昭和40年第二文学部西洋史学専修に入学)は毎年夏、広島の原爆の朗読会を開いているのに敬服する。
早稲田のラグビー部の監督清宮克幸の話も興味深い。伝統を大切にしながら自分の思想を落とし込んいく「本我一体」の戦略・戦術を遂行して確実の結果を残した。何処へ行っても通用する人物だ。はしなくも大隈重信の言葉を思い出す。「人の元気を持続する方法は種々あるけれども身体の強壮を図るのが第一である」「まず体育を根本として人の人たる形体を完全にし,而して後道徳訓ふべく、知識導くべきのみ」
その大隈は日本で最初に始球式を行った名誉を保持する。明治41年11月22日早大戸塚球場で行われた早大対米リーグ選抜「リーチ・オール・アメリカン」戦。球はあらぬ方向に転がったが打席の早稲田の一番バッター山脇正治はとっさに空振りをした。それ以来、始球式で打者が空振りをするのが礼儀となった。日本のスポーツは礼に始まり礼に終わるのである。良い本を読ませていただいてありがとう。
(本体1800円+税、啓文社書房刊)
(高尾 義彦)