2022年4月11日
社会部宮内庁記者だった成城大学教授、森暢平さんが新刊『天皇家の恋愛』
25歳で毎日新聞に入社した私は、入社5年目、30歳のとき、宮内庁担当に指名された。大学時代は日本史専攻。前年が戦後50年の1995年だったので、好んで戦争関係の記事を書いていた。「日本史専攻なら宮内庁がいいだろう」と白羽の矢が立った。長年、宮内庁詰めだった故畠山和久さんがちょうど定年を迎える年。その後釜として抜擢されたのだと思う。畠山さんと同じく、長期間、宮内庁担当が出来る記者を、というのが社会部の意向だった。
しかし、私は海外特派員が夢だった。「なんで私が」という不本意な思いはずっと付きまとった。
当時の宮内庁担当の課題は、雅子妃(現・皇后)の懐妊、紀宮内親王(現・黒田清子さん)の結婚、香淳皇后(当時は良子皇太后)の健康――の3点。抜かれれば大きい。しかし、日々原稿を書くわけでなく、潜航取材ばかりで気が滅入ることが多かった。地下鉄二重橋駅から坂下門に歩くのが、気が重い日々だった。
多くの先輩記者からは「皇室なんて、滅多に見られる対象じゃないから、楽しんでやればいい」というアドバイスをもらった。しかし、本心はすぐに逃げ出したかった。本書のあとがきでも紹介したが、ある日、デスクから電話があり「雅子さまが妊娠したという情報がある。市場関係者の間で出回っている」と言ってきた。この手の話のほとんどはガセだが、念のため侍医に夜回りをかけた。
侍医はいつも取材に応じてくれるが、肝心なことは教えてくれない。あまりにしつこく質問していると、「だから、もう月経が来てるんです。妊娠はありません」と否定してくれた。
宮内庁担当の仕事のひとつに女性皇族の「周期」を知ることがある。宮中三殿での儀式の参加が「ご都合により、なし」になると、「それ」だと分かる。
夜回りの帰路、考えた。若干30歳。海外特派員志望の私は、こんなところで、女性皇族の月経の取材をしている。一体何のために記者になったのか。
そして、もうひとつの疑問も湧いた。出生、逝去、結婚……。そんな皇族のプライベートを警戒しなければならない皇室報道はどこから来たのだろうか――。
その後、私は、宮内庁を外れたいと社会部長に訴えて、事件記者に代わった。そして、どうしてもすぐに国際関係学を沖縄の基地問題の文脈で学びたくなって、退社して修士課程に入った。大学院終了後、アトランタでCNN日本語サイトの編集者となり、ワシントンでの琉球新報駐在記者を経て、40歳で研究の道へ。
そこで取り組んだのは、勉強してきた国際関係学ではなく、皇室とメディアの研究である。あれだけ嫌だった皇室という対象に再び向き合うことになった。そして、苦節ほぼ10年で博士論文を書き、それを『近代皇室の社会史』(吉川弘文館、2020年)として出版した。この前著を全面的に書き直し、一般向けの新書にしたのが『天皇家の恋愛』である。
この本の問い、皇室と恋愛の関係は、メディアはなぜ皇室の結婚や妊娠を報じるのかという若き日の思いに遡る。それに取り組み、答えを出したのが、本書になる。
詳しくは本書を読んでいただきたいが、日本の近代化と皇室の関係がカギとなったという見立てを示してある。それは、なぜ皇室は側室を止めたのか、美智子妃の結婚は恋愛だったのか、そもそも恋とは何かという別の問いとも繋がっている。
本書は、皇室の150年の近代史を「恋愛」というこれまでにない視点で切り取った、自分で言うのもなんだが、画期的な本である。「事例が豊富」「知らないことが多く書かれている」との評価もいただいている。
若き日から考え続けたことを57歳にしてようやく一般向けの形に出来た。手に取っていただけると幸いである。
(森 暢平)
『天皇家の恋愛』は2022年3月刊、中央公論新書、定価990円(税込)
ISBNコードISBN978-4-12-102687-3
森暢平さんは京都大学文学部史学科卒。1990年毎日新聞入社。98年に退職。2000年国際大学大学院国際関係学研究科修士課程修了。同年CNN 日本語サイト編集長。05年成城大学文芸学部専任講師、同准教授を経て17年より成城大学文芸学部教授博士(文学)。専攻は日本近現代史、歴史社会学、メディア史。著書『天皇家の財布』(新潮新書2003年)、『近代皇室の社会史――側室・育児・恋愛』(吉川弘文館2020年)、共著『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店2013年)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館2015年)、『皇后四代の歴史――昭憲皇太后から美智子皇后まで』(吉川弘文館2018年)、『「地域」から見える天皇制』(吉田書店2019年)など。