新刊紹介

2022年4月20日

私もかつては「オッサン」だった――論説委員、佐藤千矢子さんが新刊「オッサンの壁」について語る=講談社のオンライン雑誌「現代ビジネス」から転載

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 春は異動の季節だ。全国紙の政治記者をしている私の周辺でも、知り合いの女性たちから、異動にまつわるさまざまな反応が聞こえてくる。中には「やはり『ガラスの天井』はある。しかも一見、女性を登用するように見せて、重要な仕事は男性にさせるなど、やり方が巧妙だ」という声もある。男性社会の壁はなかなか手強い。上梓したばかりの新刊『オッサンの壁』でも語っているが、今なお厚い男性社会の壁について、私自身の経験談をお伝えしようと思う。

 オッサンの壁といえば、やはりハラスメント(嫌がらせ)だ。その中でも「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」の話を避けて通ることはできない。

 私は男女雇用機会均等法の第一世代として毎日新聞社に入社した。記者として主に政治畑を歩み、2017年から2年間、全国紙で女性として初めて政治部長に就き、今年4月からは論説委員をしている。

 実は私もかつては「オッサン」だった。だからあまり偉そうなことは言えない。もちろん私自身がハラスメントをしたということではない。男性社会にひたすら同調して必死に働いていた。若手の政治記者時代、忙しくて風呂にも入らずに働いていた時期がある。当時、毎日新聞の政治部デスクで、後にTBSテレビの報道番組『NEWS23』のキャスターなどを務めた岸井成格(しげただ)さんも若いころ風呂に入らなかったということで、私に「女岸井」というあだ名が付けられたこともあった。

 そんな約35年間の新聞記者生活で、まずは私が受けたセクハラの中から忘れがたい三つのケースを紹介したい

 仲居さんの着物に手を…

 最初のケースは、おっぱいを触るのが大好きな大物議員の話だ。すでに亡くなった人だが、その人は小料理屋に行くと、時々、仲居さんの着物に手をつっこんで触っていた。私も他の男性記者たちも、それをただ黙って見ていた。

 ある時、たまたま私が隣に座ると、ふざけて「佐藤さんのおっぱいも触っていいかな」と手が伸びてきた。私はここでひるめば、この先ずっとやられるかもしれないと、とっさに思い、「ちょっとでも触ったら書きますよ」と言った。すると、議員の手がビビビっと電気に打たれたように引っ込んだ。

 衆人監視のもとだったのが幸いだった。「ペンの力ってすごいな」「毅然とした態度を取ることが大事なんだ」とつくづく思った。ただ、後から振り返ってみれば、私は自分へのセクハラは撃退できたが、仲居さんへのセクハラには何もできなかった。

 これは比較的軽微なセクハラ(と言っても、相当にひどい)だが、次のケースはもう少し深刻だ。

 その議員が住んでいた東京都内の議員宿舎の部屋には、夜回りの記者数人が毎晩のように詰めかけ、懇談に応じていた。ある晩、たまたま他の記者が誰も夜回りにやって来ず、議員と私だけの1対1の懇談になった。いつものようにリビングのソファで話していたら、いきなりにじり寄ってきて、腕が肩に回り抱きつかれた。

 「やめてください」と何度か言ったが、やめようとせず、振りほどくようにして逃げ帰ってきた。その時、秘書が別室で慌てる様子もなく待機しているのが見えた。議員の行動はもちろんだが、秘書の行動もショックだった。秘書は明らかに議員によるセクハラという状況に慣れていた。「いったい何人の女性が私と同じような思いをしたのだろう」。想像せずにはいられなかった。

 私はその夜のうちに男性の先輩記者に報告し、対応を相談した。

 「そんな奴のところに、もう夜回りに行かなくていい。それで情報が取れなくなっても構わない」。先輩記者は言った。新聞社としてその議員の情報が欲しかったのはよくわかっていたので、私は先輩の反応がうれしかった。もしも「他の男性記者がいる時に行くようにして、気をつけて取材してはどうか」と言われたら、がっかりしただろう。「担当を外す」と言われたら、当座はほっとしたかもしれないが、責任を感じ、自分を責めて、後々まで思い悩んだかもしれない。

 「もう夜回りに行かなくていい」というのは、会社として情報を失う犠牲を払ってでも記者を守ろうとする姿勢がはっきりしている。しかし「気をつけて取材してはどうか」とか「担当を外す」というのは、記者に配慮しているようでいて、情報入手のほうを優先している。この差は大きい。

 私はその後、議員と1対1にならないように気をつけながら夜回りに行くことにし、何とか無事に仕事をこなすことができた。議員も秘書も何ごともなかったかのように振る舞っていた。いや、振る舞っていたというよりも、全く気にかけていなかったというほうが近い。罪悪感など微塵も感じていないようだった。

 これはセクハラ…なのか…?

 三つ目のケースは、かなり昔の話になる。政治部記者になって2年目の1991年、宮澤喜一氏、渡辺美智雄氏、三塚博氏の3人が争った自民党総裁選で、朝回り取材をしていた時のことだ。ある中堅議員の議員宿舎の部屋には総裁選の陣営情報を得ようと、毎朝、数人の記者が集まっていた。この議員は、記者たちの健康を気遣い、「朝は味噌汁ぐらい飲まないといけないぞ」と言って、カップ味噌汁を大量に買い込み、一人ずつお湯を注いでふるまってくれる優しい人だった。

 ある朝たまたま、他の記者が現れず、1対1の取材になった。いつものように台所で味噌汁を飲みながら話をしていると、「睡眠時間も足りていないんだろう。少し寝なさい」と言って、隣の和室に行って押し入れから布団を出し、畳の上に敷き始めた。私は遠慮して早々に帰ってきた。

 議員は高齢で優しい人だったのと、朝という時間帯もあって、これはセクハラなのかどうかと私は混乱した。先輩記者に相談すると「バカだなあ、疲れていてもそんなところで寝ちゃあダメだよ」と笑っていた。ほかにもセクハラかどうか判断がつきかね、対応に困るケースはけっこうあった。

 三つのケースを紹介してきたが、幸いだったのは、いずれも撃退できたり、先輩記者に相談でき、その対応が適切だったりしたことだ。しかし、もちろんそんなケースばかりではない。セクハラを撃退できなかったケースもあるし、その場合、残念ながら会社に報告をすること自体にも大きなハードルがあった。そしてそのハードルは、現在も相変わらず高いままだ。

 私自身、入社から間もない地方支局の勤務時代に受けたセクハラは、先輩にも上司にも一切、報告できなかった。地方勤務の新人記者が、入社早々トラブルを起こせば、「女はやっぱり面倒くさい」とか「なんでそんなトラブルも上手く処理できないのか」と思われ、人事異動にも影響しかねないと思ったからだ。

 2018年4月、当時の財務省の福田淳一事務次官がテレビ朝日の女性記者を飲食店に呼び出しセクハラ発言をしていた疑惑が報じられ、大きな問題になった時、自分の過去の経験に照らし合わせて考えざるを得なかった。

 自分がまだ若くセクハラに悩んでいた1990年代のころから改善されたようでいて、本質的にはあまり変わっていないのだと思う。

 「女性がお酌」問題の本質

 さて、ハラスメントにはセクハラの他にもさまざまな種類がある。

 私の場合、口に出して訴えることはほとんどなかったが、内心、ジェンダー・ハラスメント(ジェンハラ)のストレスも、けっこうつらかった。ジェンハラというのは、ジェンダー(社会的・文化的に作られる性別)にもとづく嫌がらせだ。「女らしさ」や「男らしさ」を押しつける言動と言ったほうがいいかもしれない。飲み会でのお酌を女性に強要するというのがわかりやすい例だ。

 飲み会で、取材相手や接待先の男性の隣に座席を指定され、座らされることも決して愉快なものではない。隣に座るということは、どうしてもお酌をすることとセットになる。「接待先の男性も女性が隣のほうが喜ぶでしょう」「どうせ女性の話など聞こうと思っていないのだから」「女性はお酌だけしてね」と言われている気持ちになる。

 さすがに女性でも管理職になると、そういう扱いを受けることは少なくなる。しかし、完全になくなることはない。

 ほんの数カ月前の話だが、ある学者を数人の新聞記者で囲む会に出席した時、男性記者から「さあ、佐藤さんは先生の隣に座って」と言われ、久しぶりにそうした扱いを受けて驚いた。

 ただ、昔とやや違って、皆が「そうだ、そうだ」と勧めることはなくなった。さすがに何人かは「ちょっと、このご時世まずいのではないのか」と察知したのだろう。微妙な空気が一瞬流れた。私が「いやいや、ジェンダー平等ですから」と言うと、かすかに笑いが起き、無事に男性記者が学者の隣席に座って会合は始まった。

 電話で「誰かに変わってくれる?」

 電話の応対でジェンハラを感じることも多い。取材先で女性記者であることを理由に応じてもらえなかったり、嫌な思いをしたりした記憶はほとんどないが、電話取材では特に若いころ、それが頻繁に起きた。

 支局勤務の時に「毎日新聞です」と電話に出ると、「誰かいないの?」「誰かに変わってくれる?」とよく言われた。支局長やデスクに変わってくれではなく「誰か」である。「誰かって誰?」といつも心の中でつぶやいていた。

 自分が一人前扱いされていないことを突きつけられるようで、とても不愉快なものだ。けれども、怒って電話を切るわけにもいかない。「私は記者ですが」と言うと、受話器の向こうで相手は戸惑い、しぶしぶ会話を始めるという感じだった。

 会社にかかってきた電話に出て「誰かいないの?」と言われた経験のある女性は、私たちの世代では、新聞記者に限らずけっこう多いのではないだろうか。片や男性はそんな経験はほとんどないだろう。一事が万事で、こういう経験を何十年も我慢して重ねてきた女性と、一切そういう苦労をしないですんだ男性の間には、その後の人生への自信の持ち方や、社会に対する認識に大きな違いが生まれるのではないかと思う。対面取材では女性差別をほとんど感じなかったのに、電話取材で頻繁に感じたのはなぜだろうか。対面取材では相手が性別に関係なく人物を見ているからであり、電話では性別への偏見から入るからではないだろうか。

『オッサンの壁』は講談社現代新書。定価990円(本体900円)、
ISBN978-4-06-527753-9

 佐藤千矢子さんは1965年生まれ、愛知県出身。名古屋大学文学部卒業。毎日新聞社に入社し、長野支局、政治部、大阪社会部、外信部を経て、2001年10月から3年半、ワシントン特派員。米国では、米同時多発テロ後のアフガニスタン紛争、イラク戦争、米大統領選を取材した。政治部副部長、編集委員を経て、2013年から論説委員として安全保障法制などを担当。2017年に全国紙で女性として初めて政治部長に就いた。その後、大阪本社編集局次長、論説副委員長、東京本社編集編成局総務を経て、現在、論説委員。