2022年10月25日
元生活家庭部の松村由利子さんが『ジャーナリスト与謝野晶子』を上梓
歌人・与謝野晶子は誰もが知る存在だが、彼女が労働や教育をテーマに多くの新聞や雑誌に寄稿したことは、ほとんど知られていない。三十代のころから晶子の評論を愛読してきた自分としては、何とも口惜しい。いかに彼女が素晴らしいジャーナリストであったか広く伝えたい、という思いが今回の著書となった。
最初の章は、特に毎日新聞の先輩方や、かつての同僚、後輩たちに読んでもらえたら、と願いつつ書いた。というのも、東京日日が大阪毎日に吸収合併されたとき、つまり全国紙としての毎日新聞の出発点となった紙面に、晶子が関わったという面白い事実が出てくるからだ。
両社の合併が相成った1911(明治44)年3月1日付の東京日日の1面には、「今日以後の東京日日新聞」という見出しのもと、大阪毎日社長の挨拶文が紙面の大部分を使って組まれた。その下方の隅に、与謝野晶子の歌が2首掲載されている。しかも、それは短歌史上初めて出産の苦しみを赤裸々に詠んだ作品として非常に有名な歌であり、その日だけの単発の掲載ではなく、1年以上続く長期連載の第1回だった。いったい、どんな記者が1面で短歌を連載するという企画を考案したのだろう。当時最も有名な人気歌人に依頼する際は、編集局長や社長も同席したのではないか……。
毎日新聞に入社して支局でのサツ回りが始まったとき、最初にたたき込まれたのが「疑問を持て」ということだった。軽微な交通事故であっても、それがなぜ起こったのか、現場はどんな場所だったのか、自分で考えてみること。警察発表を疑ってみること――。今回の原稿を書いているとき、私の頭にはいつもこの教えがあった。できるだけ一次資料に当たり、晶子の文章や歌を時代背景と照らし合わせて考察するよう心がけた。歌集に収められた歌が、もともとはいつ、どんなふうに雑誌や新聞に掲載されたのか、「初出」に当たったのも、そのためだった。
与謝野晶子が評論を書いたのは、活字メディアが今とは比べものにならないほど大きな影響力をもった時期である。それだけに政府はメディアを恐れて言論統制を強め、新聞や雑誌、書籍が発禁処分となることが珍しくなかった。そうした厳しい時代、彼女は臆することなく権力を批判し、自由と平等を実現する民主主義を希求し続けた。本書では、そんな硬派な晶子像を複数の角度から描こうと試みた。
晶子は日常的に十紙前後の新聞に目を通し、新聞というメディア、そして記者たちに厚い信頼と期待を寄せていた。新聞を「闇夜の燈火」に喩えた彼女の言葉が、いま新聞社で働く人たち、これから記者職を目指す人たちに届けば嬉しい。
在職中は抜かれっぱなしのダメ記者だった私が、こつこつと調べものを重ねて本書を書き上げられたのは、諸先輩のご指導によるものにほかならない。毎日新聞への感謝の念をこめて上梓した一冊(もちろん情報調査部へは献本済み)、お楽しみいただければ幸いである。
(松村 由利子)
『ジャーナリスト 与謝野晶子』は短歌研究社刊。定価2,750円(本体2,500円) ISBN 978-4-86272-720-6
松村由利子(まつむら・ゆりこ)さんは千葉支局、生活家庭部、学芸部、科学環境部に在籍、2006年フリーに。歌人として毎日新聞の連載などで活躍。1998年、第一歌集『薄荷色の朝に』を出版。2009年に出版した『31文字のなかの科学』が科学ジャーナリスト賞を受賞、『与謝野晶子』で第5回平塚らいてう賞。第五歌集『光のアラベスク』で第24回若山牧水賞。石垣島在住。
2022年10月22日の毎日新聞書評欄で歌人小島ゆかりさんが取り上げて紹介。