新刊紹介

2023年4月13日

『ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る』共著出版のRKB毎日放送、神戸金史さんが「ドキュメンタリー制作の原点は『記者の目』」と

◆系列違いの放送局員で共著を出版

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 『ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る』(石風社、税別2000円)という本を出版しました。筆者は3人、NHK福岡放送局の吉崎健ディレクター/九州朝日放送(KBC)の臼井賢一郎プロデューサー/RKB毎日放送記者の私。全員、50代後半の制作者です。

 系列が違う放送局員の共著はかなり珍しいと思います。優れたドキュメンタリーを系列に関係なく視聴し議論し合う「福岡メディア批評フォーラム」という活動を、私たちは17年前から続けてきました。ドキュメンタリーの制作現場はいよいよ厳しさを増していますが、私たちは「ローカルだからこそできることがある」と考えています。

◆尊敬すべき制作者仲間の2人は「本道」「直球」

 NHK吉崎さんの初任地は熊本。水俣病患者との出会いが人生を変えました。時に抗って、東京への異動を断り九州の現場を諦めませんでした。水俣関連の番組やリポートは約30本。原田正純医師(2010)や、作家の石牟礼道子さん(2012)、思想史家の渡辺京二さん(2022)といった巨人と真正面から向き合う全国放送を制作しています。諫早湾干拓に翻弄された人々の人生も息長く追いかけています。

 KBC臼井さんは、サツ回りで福岡県警「白紙調書」問題をスクープ、全国放送で連日展開し、名物署長の自殺という衝撃的な結末を迎えた過程を番組化しています(1995)。若い日に中村哲医師を生き方に圧倒され、日本メディアとして初めて現地取材した番組(1992)や、突然の死に直面し制作したドキュメンタリー(2020)についても語っています。

 本書のプロローグは私が書きました。そこでは、吉崎さんの制作姿勢を「本道」、臼井さんを「直球」と表現しています。

◆「変化球」セルフドキュメンタリーを作ってきた

 一方、私自身は「変化球」としました。私が制作した番組には、放送の世界では珍しい1人称で語るセルフドキュメンタリーが多いのです。

 長男(24歳)は先天性の障害・自閉症を持って生まれました。RKB東京報道部時代に発生した「やまゆり園障害者殺傷事件」では、犯人の植松聖に「家族である私に対して、『なぜ事件を起こしたか』を自分の口から説明してみたい、とは思いませんか」と手紙を書いて対話を始め、ラジオ(2017、2019)とテレビ(2020)でドキュメンタリー化しました。

 また、ヨルダン国際空港爆発事件で毎日新聞を解雇された同期入社のカメラマンを取材した番組(2013)にも触れました。

 これらの番組では、制作者の私が「父親」「友人」という立場を明らかにして登場します。

◆島原市民として暮らした3年間

 こうした番組の舞台裏を3人がそれぞれ書いた章「ドキュメンタリーの現場から」/番組を入社2~4年目の若手に見てもらい、率直に意見交換した座談会の章/その若手と同世代だったころに私たちが体験したことを記した章「それぞれの原点」。本書はこんな構成です。

 私の原点は、1991年の毎日新聞入社直後に遭遇した長崎県雲仙普賢岳災害でしょう。先輩3人も犠牲となりました。たまたまその日にあの場所にいなかった、というだけの理由で、私は助かりました。災害は長期化し、翌年から私は現地で災害報道に専従しました。

 入社後すぐに「最初に出会った大きな出来事が、君のその後の記者生活を決めるよ」と言われたことを覚えています。間違いなく雲仙だと思いました。

 そんな新米記者が大災害に直面して右往左往し、終息まで一市民として暮らした4年間の手記が、初めての書籍『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』(1995、ジャストシステム刊)です。

 〔現在はネット上で全文を公開しています。note『雲仙記者青春記』〕

◆「記者の目」筆者を頼った中学生

 ところで、私が毎日新聞の記者と初めて話をしたのは1979年、中学1年生の夏休みでした。課題図書『太陽の絵筆 熱情の画家ゴッホ』を読み、「当時の1フランは今の日本円だといくらくらいなのか」を知りたくて、コラム「記者の目」で名前と顔を知った経済部の記者さんにお電話したのです。何人かの方が、時間をかけて調べてくれました。うれしくて、東京本社の代表番号はその後もずっと諳んじていました。

 ですから、入社した時「記者の目を早く書きたい」と抱負を言いました。幸い、最初の島原時代に4回書くことができました。

◆私のドキュメンタリーは「記者の目」だった

 東京社会部時代に書いたのは1回だけでしたが、長男の持つ障害・自閉症について「引っ込み思案や引きこもりとは違う」と父親の立場で知らせたいと願う内容で、大きな反響が寄せられ、社会面での5回連載『うちの子 自閉症児とその家族』(2004)につながりました。

 この後、ひょんな弾みで私はRKB毎日放送に転職し福岡に戻ってしまうのですが、最初に手がけた番組は、一連の記事を映像化したセルフドキュメンタリー『うちの子 自閉症という障害を持って』(2005)でした。

 「記者生活を決める、最初の大きな出来事」――。

 実は、「28歳で自分の体験を書籍にしたこと」だったのではないかと近年思うようになりました。セルフドキュメンタリーも、同じ1人称表現です。今回の執筆中に「実はずっと、ドキュメンタリーという『記者の目』を僕は書いてきたのではないだろうか」と思い至り、少しうれしくなりました。

 神戸金史(かんべ・かねぶみ)さんは1967年群馬県生まれ。1991年毎日新聞入社。長崎、島原、福岡、RKB毎日放送(記者交換制度で2年間出向)、東京社会部で勤務。2005年にRKBに転職。ニュース編集長、報道部長、テレビ制作部長、東京報道部長などを経て、報道局担当局長(気象・デジタル)兼ドキュメンタリーエグゼクティブプロデューサー。