新刊紹介

2024年9月2日

元監査役、藤原作弥さんの「満州、少国民の戦記 総集編」が復刻再販された。元学芸部、井上志津さんがこの原作をもとに書いたシナリオ「あの夏、国境の町で」も掲載されている。以下は本書p361より転載。

【シナリオ「あの夏、国境の町で」井上志津作、著者からひと言】

 私の母で脚本家の井上正子は、映画「宮本武蔵」「飢餓海峡」(内田吐夢監督)などで知られる脚本家、鈴木尚之さんの弟子だった。鈴木さんは二〇〇五年十一月に七十六歳で亡くなったが、晩年温めていた企画があった。それが「満州、少国民の戦記」だった。母にくっついて、しょっちゅう鈴木さんのお宅にお邪魔していた私は、鈴木さんが「満州、少国民の戦記」を大切そうに抱え、その中の「お町さん」の話を映画化したいと言っていたのを、いつも傍らで聞いていた。

 鈴木さんに末期の肺がんが見つかり、余命は半年だと宣告されたのは二〇〇五年六月のことだった。私と母は鈴木さんの家に駆けつけた。ぼう然として、何も言えなかったことを覚えている。医師の見立て通り、鈴木さんは五カ月後に亡くなった。

 私がこの「満州、少国民の戦記」を引き継いで、脚本化させてもらえることになったのは、著者の藤原作弥さんが書いた鈴木さんの追悼文を読み、手紙を出したことがきっかけだったと思う。それまでお目にかかったことはなかった。

 藤原さんは一九八〇年代、新聞記者だった時に「優秀映画観賞会(「シネマ夢俱楽部」の前身)」の選考委員を務め、鈴木さんと知り合った。二人の映画の評価は一致することが多くて、ウマが合ったという。鈴木さんとコンビを組んだ内田吐夢監督が旧満州の引揚者という接点もあった。

 ある日、鈴木さんは選考会に、同じくコンビをよく組んだ今井正監督を連れてきた。実は藤原さんは高校時代、監督か脚本家になりたいと今井監督に弟子入り志願のラブレターを書いたことがあり、その話を披露して話が弾んだそうだ。そんな間柄だったから、「お町さん」を主人公にした映画を作りたいという鈴木さんの申し出に、藤原さんは感激したという。

 藤原さんが書いた鈴木さんの追悼文には、鈴木さんが余命を宣告された直後の夏に、「満州、少国民の戦記」や資料を藤原さんに送り返してきたことが書かれていた。小包の中のメモには「長い間、拝借しました。有難うございました」とあったという。その時、藤原さんは「お町さんの物語の映画化は、実現しなかったのだな」と思っただけだったが、三カ月後に鈴木さんの訃報に接した。改めてメモを読んだ藤原さんは、「短い言葉の中に、単なるお礼だけでなく私に対する別れの挨拶も篭められていたのか、と思うと胸が締めつけられる気持ちだった」と振り返った。

 私は鈴木さんがそんなふうにして資料を返却していたことを知らなかったので、私も胸が締めつけられました、というようなことを藤原さんへの手紙に書いた。それからまもなく、藤原さんはその本や資料を、今度は私に送ってくださった。新聞社に勤めながら、私も脚本を勉強し、ちょうど新人賞を受賞していたこともあり、私が書かせていただくことになった。

 それから何とか書きあげた脚本を、今度は映像化してくれる人を探さなければと、私と藤原さんは長いこと二人で動いてきた。けれど、如何せん、二人とも映画業界については素人ゆえ、そもそもプロデューサーを知らないし、まずは資金が必要かとスポンサーを探そうとしたものの、そちらもうまく行くことはなかった。そのうち藤原さんが闘病されたり、私も両親の介護で忙しくなったりで、ここ数年はなんとなく諦めムードが流れていた。

 ところが一昨年、絶版になっていた「満州、少国民の戦記」が復刻再販されるという嬉しい知らせが届いた。「総集編」として私の脚本も載せてくださるという。そのお話を受けた時、日本酒を飲みながら、「お町さんをやりたいんだけどなあ」とつぶやいていた鈴木さんの横顔がよみがえった。この脚本を初めてほめてくれた私の母も、長いがん闘病の末、二〇二〇年にこの世を去った。

 実際、出来がいいかどうかは分からないし、鈴木さんの「お町さん」像とはかけ離れているかもしれないけれど、子ども時代の藤原さん、大人になってからの藤原さん、モデルとなった「お町さん」をはじめ、鈴木さん、私の母と、いろんな人への思いを込めたという自負だけはある。映像化したいという方がいらっしゃったら、これほどありがたいことはないと思っている。

〈「満州、少国民の戦記 総集編」は愛育出版刊。3,960円(税込み)。「満州、少国民の戦記」は1984年、新潮社から出版された。藤原作弥さんは2006年から22年まで毎日新聞、毎日新聞グループホールディングス監査役を務めた。〉

〈以下は発行元の愛育出版のホ―ムページから〉

「満洲、少国民の戦記 総集編」新収録の内容など

今回「満洲、少国民の戦記 総集編」(著:藤原作弥)の新収録の内容をご紹介いたします。

①座談会 満州のいちばん長い日 参加者:澤地久枝/ジェームス三木/藤原作弥/小澤俊夫
/神代善雄/福永嫮生/天野博之/保阪正康

②司馬遼太郎生誕100年

③シンポジウム 「いま後世に語り継ぐこと」(引揚げ60周年の記念の集い)
参加者:藤原作弥/岩見隆夫/なかにし礼/山田洋次/高野悦子

④日本人のアイデンティティーとは何か、満州が問い掛けます

⑤講演 大女優・李香蘭に学ぶ

⑥シナリオ「あの夏の、国境の町で」(井上志津)
*「満洲、少国民の戦記」原作のシナリオ。

他にエッセー等原稿を収録しています。