2024年9月10日
71入社、元長野支局員で元村長・伊藤博文さんが『あの世適齢期』を刊行
書き出しにこうある。「75歳になって運転免許証を更新できなかった。緑内障の目に目薬を差し続けてきたが、加齢のせいでついに視力が落ちてしまった。目が見えなくなって、あの世が見えてきた」
現在、長野県小川村で自給自足程度の農業に精を出している伊藤博文さん(76)は71年入社。岡山支局→大阪社会部を経て長野支局員となり、85年には日航ジャンボ機墜落事故現場も取材。87年に退社して政治家秘書を務め、2010年、61歳の時に生まれ故郷の小川村長となった。2期務めた後、視力の低下を感じ、仕事をすべてやめた。
今ではわずかに見える目に頼っている。「視界ゼロ」に近づきつつある中で、自ら、あの世への適齢期と判断した。とはいえ、行ったことのない「あの世」。お寺の住職や先人から話を聞くことがあっても、実際はどのような世界なのか見当もつかない。だったら、生きているうちに自分なりの「あの世」を描いてみるのも面白い、と思った。仏教やキリスト教など各宗派の本、さらにはお釈迦さまや般若心経についての本を読み漁った。そのうち、なんとなく自分なりの「あの世」が見えてきた。
パソコンも使えない現実の中で、チラシの裏に一本のペンで書いていった。細かな文字の辞書を引くには、天眼鏡が必要だった。今の時代ならネットで簡単に調べることができるのに、たった一つの事象を書くのに一時間かかることもあった。それでも昔取った杵柄(きねづか)。「書き続けることが楽しかった」
取り組んでから一年後にほぼ脱稿した。宗教や死後の世界を研究している人たちには失笑されたり、納得してもらえない部分があるのは覚悟しているが、「多くの死と向き合った新聞記者の読書感想文と思ってくれればいい」。サブタイトルは「元事件記者のあの世論」とした。
いかにも”感想文”らしい一節がある。
「キリスト教はイエスの上にさらに神がいる宗教だ。同様の宗教は多い。このため『仏教徒は人間を神として崇拝している』という外国人もいる。確かに釈迦も菩薩も人間であるが、私は阿弥陀経を読んで元事件記者のカンがひらめいた。仏教にも神がいた!阿弥陀仏は人間の仏ではない。神の仏だ―」として、その理由を説明している。
「『あの世千日この世一日』ということわざが昔はあった。あの世で千日楽しむより、この世で一日楽しむ方がいい、というたとえ話だが、未練がましくていただけない。現代は一日や千日などとケチなことを言っている時代ではない。この世はもう十分、というぐらい長生きしなければならない」
そして最終章。「あの世への旅立ち」では、あの世へ向かう心の整理と想像した極楽浄土での楽しさなどが記されている。読んでいると、あの世は乙なもの、という思いにさせられるから不思議だ。
死後のことなど真剣に考えたことはなかったが、私もあの世に向かう「適齢期」であることを痛感させられた。ただ、もう少しだけ生きられそうだ。残る人生を有意義に過ごしたい、と「あの世より今」を意識したのは確かだが、読み終えてしばらくは私自身の「あの世」を妄想していた。
団塊の世代の「仲間たち」が読みやすいような大きい活字は嬉しい。最後のページには自らが現場で原稿にした日航ジャンボ機墜落事故の記事など毎日新聞紙面が掲載されている。信毎書籍出版センター、発行日2024年9月21日、1500円+税
(江成 康明)