元気で〜す

2020年11月1日

「世界一貧しい大統領」が政界引退 ―― 江成康明さん「エナジー通信」から

 長野県白馬村でペンション〈憩いの宿「夢見る森」〉を経営する江成康明さん(元運動部・スポーツ事業部長)から、定期便「若者のためのエナジー通信」第45号(2020年11月1日)が届いた。紹介したい。

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若者のための       エナジー通信
by Yasuaki Enari   Vol.45  (2020.11.1)
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画像
写真は江成さんのフェイスブックから

 米国大統領選をめぐって、トランプ、バイデン両氏の毒舌合戦が続いている。相手を卑下するだけのウソも混じった汚い言葉のオンパレードに辟易する。日本では学術会議の任命問題で、菅首相が拒否した理由説明もせずに時間だけが流れていく。所信表明でも「日本をどうしたいのか」が見えなかった。見慣れた光景とはいえ、国のリーダーはこんなにも落ちてしまったのか、と残念な気持ちになる。新聞を広げながら、見出しだけ見て毎日同じような内容の記事を素通りしてしまう自分に気づく。

 それでもページをめくっていく。習慣がそうさせる。小さな記事に目が止まった。<「世界一貧しい大統領」が政界引退>。見出しが端的に事実を伝えている。ここ数年の世界の政治情報の中で、私が最も尊敬していた政治家のことだと分かる。ショックを抱えたまま、気に記事を読む。85歳という高齢と、対話するためにどこへでも足を運んでいた楽しみがコロナ禍によってできなくなったことが引退の理由だそうだ。まだまだ全世界の人々に心ある言葉を伝え続けてほしいとの願いは届かなかった。

 ホセ・ムヒカ氏。名前を初めて聞いたのは6年ほど前のことだった。それ以前の2012年6月、国連の「持続可能な開発会議」でウルグアイ大統領としてスピーチした発言は、今の時代に生きる「人間」と「政治家」に足りないものをわかりやすく問いかけた。ほかの政治家にない理路整然とした演説と、国民のための政治家として実践してきたウソ偽りのない生きざまが次第にメディアにも注目され、数々の本も出版された。こんな政治家がいるんだ、と知り、以来大ファンになった。何よりも、ぜいたくな社会になり、経済中心に回っている世界に対して、「本当の豊かさ」「人生の大切さ」を説く言葉の重さに引き付けられた。

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 初来日したムヒカ氏のインタビュー番組がテレビで放映された日のことを忘れられない。それまで活字でしか知らなかったムヒカ氏の映像を見られることに興奮していた。ごく自然にノートを用意し、発言をメモすることにした。それは、忘れかけていた記者時代の緊張感に似ていた。一言も漏らすまいと走り書きし、時おり彼の表情を見つめた。その言葉が本心であるかどうかは、ちょっとした目の動きや動作が見極めの分かれ目になる。取材記者の原点である、と若いころ教わった。よどみも戸惑いもなく、彼は穏やかにインタビューに答えていた。メモしながら、背筋がゾクゾクっとした。2016年3月8日のことだった。

 メモを読み返すと、人を愛し、より高い政治理念を掲げていたすごさが改めて分かる。

 「何のために自分の時間を使うか、が大事。家族や子供、友人や自分のために使うのならいいが、もっとお金が欲しいと思うなら消費社会に支配されている。モノを買うのはお金ではなく、お金を得るために働いたあなたの時間なのだ。人生の時間というのは、ゼンマイが切れるように必ず終わる。モノは最小限あればいい。決められたあなたの時間を、モノを買うためにではなくもっとすてきなことに使ってほしい」

 「幸せとは希望があること。情熱を傾けられる何かを見つけることが必要であり、それは欲望ではなく、愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てることなど身近にたくさんある。幸せこそが私たちに最も大切なことであり、発展が幸せを阻害してはいけない」

 一人ひとりにできる「時間」と「幸せ」の考え方を述べているが、そこから発展してムヒカ氏の話は政治に及ぶ。

 高価な商品を欲しがり、ぜいたくな消費社会を作ってしまったのは政治の責任だと。若者に希望の光を示すこともなく、世界中に貧困家庭が増えている現状。「我々の前に立ちはだかる巨大な危機は、環境問題ではなく政治的な危機なのだ」と強調した。そして最後に、「人の幸せは政治が作るもの」と言い切った。

 ムヒカ氏自身は、大統領を辞めたときにフォルクスワーゲンの中古車一台しか財産がなかったそうだ。議員や大統領としての報酬は、貧困者のための住宅や教育施設の建設費に当てたらしい。「世界一貧しい大統領」と言われるゆえんでもある。国民の生活を肌で感じ、自ら清貧な人生を送っていたムヒカ氏は多くのモノを求めずに「共助、公助」に徹し続け、静かに政界を去った。

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 今、改めてムヒカ氏の言葉を振り返ると、ただの理想論ではなかったことがよく分かる。新型コロナ禍が実証して見せた。世界中のほとんどが自粛規制に追い込まれ、自宅で過ごすことが当たり前になった。もちろん出勤や登校ができない状態になり、誰もが消費社会から遠ざかった。ぜいたくをすることもなく、非日常という日常に頭を切り替えた。

 それまで無意識だった「時間」をいかにうまく使うか、をみんな考えて実践した。本を読んだり、趣味の幅を広げたり…自分を高めるために時間を有効に使った。収入がなくなることに不安があっても、誰にでも均等に与えられている「時間」の大切さを知った。周りに流されていた自分に気づき、考えることも多くなった。

 「幸せ」についても家族で会話を楽しみ、それまではあまり話す時間もなかった父親や母親とじっくり語り合った。友達に手紙を書くことも多くなったという学生もいた。ネット社会では味わったことのない「人のありがたさ」に幸せを感じる時間が持てた。そして何よりも、仲間と会えない寂しさを実感し、会話できないもどかしさが誰の心にも生まれた。YouTubeを使ってダンスや歌がリレー方式でつながれたのも、みんなで幸せをつかみ取ろう、という思いが大きかったのではないだろうか。モノが欲しいというより、「人恋しさ」に戻ったのは、決して無駄な時間ではなかった、と思う。コロナ禍がなければ、ムヒカ氏の言葉は実際の生活の中で感じ得なかったかもしれない。

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 なのに、ムヒカ氏の言うもう一つの願いは何もかなえられていない。政治家は相変わらず消費社会の中で欲望に満ち続けている。世界中が危機感を抱いている地球温暖化対策のパリ協定から離脱し、新型コロナの陽性診断を受けてもすぐに退院してマスクもしないトランプ氏は相変わらずだ。「自助」を前面に打ち出す菅総理の方針も、ムヒカ氏の実行してきた国民への「共助、公助」には程遠い。コロナ禍で経済的にも精神的にも苦しんでいる国民に「まずは自分の力で」というのは筋違いだろう。

 河合克行夫妻の選挙違反事件や杉田水脈議員の「女はウソをつく」発言についても説明すらない。安倍政権時代から続いている「説明責任を果たさなくても、時間が経てばみんな忘れる」ということが定着してしまった。それを許していた国民が、コロナ自粛の期間中に「政治に関心を持つようになった」という。だったら、コロナ禍は転換期にもなりうる。幸せは政治が作るもの、と意識して政治を見つめる若者が増え、声を上げればきっと何かが変わるはず。ムヒカ氏が言い続けた「政治的危機」が水面下ではなく、表面化している怖さに今こそ気づかなければいけないと思う。

 「人類が今の悲劇的現状から何かを学び取ることができると考えている。それが実現すればコロナ禍は人類にとって大きな糧になるだろう。人類は過去の世界的危機のたびに新しいものを生み出したのだから」

 コロナ騒動真っ盛りの6月にこう発言したムヒカ氏。現役時代には実現しなかった夢が、コロナ後には叶うかもしれない。政界から身を引いても世界を憂え続けるであろうムヒカ氏にその日を届けたい。そんな気がした。

 くれぐれも、新型コロナウイルス感染には気を付けて下さい。

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松本大学非常勤講師 江成 康明