元気で〜す

2023年3月13日

始まりは「婦唱夫随」 元論説委員、坂巻煕さん(87)の社会福祉人生

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 坂巻煕さんは、私(高尾)が社会部でサツ回りだった頃のサブデスク、府中通信部に異動した時は、八王子支局次長(デスク)で、仕事のかたわら、浅川の河原で草野球に興じたこともあり、所沢市のお宅にもお邪魔した。その後、仕事上の接点はほとんどなかったけれど、岩手県に私財を投じて設立した障がい者施設の理事長を85歳で退任し、後任に託したころから、「社会福祉」に情熱を注いできた人生について、毎友会ホームページに寄稿してほしいとお願いしていた。

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湯田駅前に設立15周年の記念事業として設けた「ビスケットの家 元気一番館」。1階はグループホーム、2階は町の図書館分室に

 最近になってお手紙をいただき、「小生の施設作りは、皆さんがゴルフや競馬に金を使うのと同様に趣味のようなものです。皆さんに知っていただくことではないので」とご自分で語ることは固辞された。しかし、施設作りの契機が「連れ合いのヒトコト」という文面を目にして、坂巻さん本人の遠慮はともかく、奥様の「手柄」は毎友会の会員に伝えたい、とここに紹介することにします。

 坂巻さんは社会部、「サンデー毎日」編集次長、編集委員などを経て、論説委員として社会保障や福祉を担当しました。1991年に退社し、淑徳大学社会学部教授、日本福祉大学客員教授を歴任。総理府社会保障制度審議会委員、厚生省人口問題審議会委員などを務め、一貫して「福祉」をテーマにしてきました。『親の世話 ヒトに任せてボランティア』(あけび書房)の著書もあります。

 老人福祉で有名だった岩手県沢内村(現西和賀町)の福祉大会に講演で招かれた際、障がい者共同作業所があまりにもお粗末だったことにびっくり。作業所を公的な授産施設にできないか、と村の社会福祉協議会と相談し、親の会などと一緒に村当局に陳情したところ、助役は「カネがないからダメ」という返事。そこで社会福祉協議会の会長だった元村長から「村と隣りの湯田町、それに坂巻さんたちがカネを出して社会福祉法人を作ればいい」と提案されたそうです。三者の負担はそれぞれ2500万円。

 ここで潤子夫人が登場する。

 「あなた、大学教授だとか審議会の委員だとか言って偉そうに福祉の話をしていますが、何一つ実践がありません。そういう人、口先男、口舌の徒と言うんじゃない」

 毎日新聞退社直後だったので、退職金も手つかずで、この言葉に動かされて社会福祉法人潤沢会を設立、理事長に就任した。ただ、当時は大学教授の仕事があったため、潤子夫人が勤務していた青山学院初等部を辞めて施設長として赴任して切り盛りし、現場は夫人にお任せというスタートだった。

 経済部OBの鈴田敦之さんから100万円の寄付が届き、それを活用して桑畑を作ったことも「嬉しい思い出」とのこと。「婦唱夫随」で20年間、いまも名誉会長として潤沢会の機関紙にコラムを執筆、潤子夫人も相談役としてコラムを寄稿し、社会福祉人生は続く。

(元社会部 高尾義彦)