2024年6月21日
浦和支局3年余、学者に転身し、豪ラトローブ大学名誉教授の杉本良夫さん、84歳
64同期入社の豪ラトローブ大学名誉教授、杉本良夫さん(84歳)とメールで連絡がとれた。
メルボルンに住み、近況を
「Cambridge University Press から先世紀の末に初版を出版した An Introduction to Japanese Society という本が世界の大学で広く読まれ、ロングセラーとなり、第5版まで出たので、いま第6版の原稿を書き始めているところです」。
初任地浦和支局から1967年7月に留学渡米。1973年にピッツバーグ大学で社会学博士の学位を取得。同年から豪メルボルンのラトローブ大学社会学部で教鞭を取り、同大学教授。社会学部長も務めた。現在名誉教授。
メルボルン日本研究センターの初代所長。筑波大学、東京都立大学やドイツのハイデルベルク大学、フランスのエブリー大学などの客員教授を務めた。
2022年には、日豪学術交流に果たした功績で瑞宝中綬章を受章している。
メールの続き。「ぼくが毎日新聞に所属していたのは、浦和支局の3年余りだけです。日本を出たときは、1年後に戻ってくるつもりだったのですが、指導教授に『博士号のコースに進める実力があるから残ってはどうか』と言われ、アメリカに残ることを決断しました。
当時としては迷いに迷った上での冒険で、それから博士号を取得した73年までは、いまから考えれば信じられないほど、勉強に打ち込んだものです。
辞表を郵送したのは、当時の浦和支局長の石綿清一さん宛でした。入社当時の支局長は森丘秀雄さん(のち社会部長)で、いろいろ教えて頂きました。そんなわけで、ぼくには本社経験はありません。
もしあのとき毎日へ戻っていたら、ぼくの人生行路はどういうふうになっていただろうかと、ときおり思いを巡らすことがあります」
といって添付してきたのが、浦和支局時代の写真。先日亡くなった田村徳章さんから送られたという。木造の支局前で撮ったものだ。
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杉本の名前を思いがけない人から聞いた。私の学生時代の早稲田大学野球部監督・石井連蔵さん(野球殿堂入り、2015年没83歳)からだった。
石井監督は60年秋の早慶6連戦で優勝監督になったが、その後チームの成績が低迷。63年の秋のシーズンを終えて監督を辞任、朝日新聞に入社した。当時31歳。
駆け出しが浦和支局のサツ回り。「毎日新聞の杉本さんに大変お世話になりました」。
10年ほど前、早大監督時代の話を聞きに浦和市の自宅を訪ねた時、こう言われてびっくりした。
改めて杉本に確認すると、「警察のクラブが一緒で、彼の原稿を見てあげました。大変感謝されました」という。
著書に『日本人論に関する12章』(ちくま学芸文庫2000年刊)『オーストラリア―多文化社会の選択』(岩波新書2000年刊) 『「日本人」をやめられますか』(朝日文庫1996年刊)など多数。
(堤 哲)