2025年5月7日
80歳で「蕎麦店」を始めちゃった!




「麺遊ピカソ庵」(蕎麦、うどん、甘味の店)を始めちゃいました。4月24日にオープンしました。
きっかけは蕎麦打ち名人の友人2人が「会社勤めはもう辞めて、余生は自分の好きなことをやって過ごしたい」と打ち明けたことでした。
佐久間義明さん(69)は中堅の保険代理店の役員ですが「保険の仕事はもう十分だ」と言いました。もう1人は田代直人さん(73)で会社を卒業してからは仲間とバンド演奏を楽しんでいましたが、蕎麦打ちが趣味。
中島は彼らが打ってくれた蕎麦が素晴らしく旨いので「美味しい、美味しい」と食べていましたから、彼らの蕎麦を提供する店は繁盛間違いなしと「蕎麦店を始めよう」と提案し、彼らが乗っちゃったのでした。
「未来組曲」という本で書いた房総半島の高滝湖近くのミュアヘッドフィールズ(ゴルフ場、土太郎村、古民家レストランエリア)を開発している中島の従兄、坂征郎さんに相談したら「小川を見下ろす良い場所に蕎麦店を建築しよう」と賛同してくれ、一気に全てが進み始めました。
開店日を2025年4月24日と決め建物の賃貸契約も締結、千葉銀行に営業用口座も開設。でも日本っておかしな国です。新たに事業を起こす人は、世界の中でゼロ成長の日本に貢献する奇特な人なのに行政は面倒なことばかり要求するのです。例えば営業用口座は税務署に開業届けを出さなければ作れない、とか。保健所に検査をお願いするのに「1万6千円の印紙を貼って申請しなければならない」とか。
ほとんどの場合、印鑑証明と実印が必要です。市役所で300円払って印鑑証明を発行してもらうため、いちいち足を運ばなければなりません。本人確認は免許証で済むし、ハンコを押さなくても署名で充分でしょ。民に手間ばかりかけさせる。開店準備はレシピ考案、そして味見と忙しく、うどんは打ってから冷蔵庫でしばらくは持ちますが、蕎麦は風味が大事なので前日か当日朝に打つしかありません。出汁は前々日に、はらわたと頭と尻尾を取った煮干し、昆布、シイタケを冷水に漬けて、翌朝に煮ます。沸騰寸前で火を止め、鰹節を入れて中火でまた煮ます。とにかく2日分の出汁22㍑作るのに手間がかかるのです。醤油、味醂、砂糖を煮詰めた素返しに蕎麦つゆは5倍、うどんの汁には7倍分の出汁を合わせます。
また食器、お盆、箸から飛び回って揃え、椅子の組み立てと、とにかくやることに追いまくられます。税金を徴収できる企業が増えるのだから行政は民になるべく無駄な書類を求めないで欲しいと思うくらい沢山のペーパーワークがありました。
ここでトランプがなぜ大統領に当選出来たかの秘密について僕の解釈を述べましょう。米国でも時代遅れのルールや規制が民の不満をかっていました。勿論、必要な規制はありますが、無意味な規制をトランプはヒラリー・クリントンを破った一期目も、ハリス候補(バイデンの副大統領)を破った二期目も、あの勢いで廃止しまくったのです。レーガン、ブッシュ、ブッシュジュニア、オバマも手をつけなかったことを直ぐやっちゃうトランプに熱狂する中産階級や貧しいアメリカ人が熱烈な支持をしたのです。トランプはビジネスの人です。だから積極的に動かなければ何も始まらないことを知っています。当選後、凄まじい勢いで大統領令を出しまくるのは、トランプの積極性ゆえです。
更にトランプは戦争が嫌いです。1期目で戦争を始めなかった唯一の米大統領でした。2期目ではウクライナとロシアに「停戦しろ」と言い、ガザの悲劇を解決するには米国がガザを保有してリビエラのような保養地にするなんて言い出します。ウクライナとはレアメタルなどの鉱山を共同開発することで調印しました。ロシアとの停戦に向けた1歩です。北朝鮮の金正恩とはかつて何度も会い、南北を分かつ38度線を歩いて越えて金正恩と握手したのはトランプで、北朝鮮の脅威を言い募り軍需費増大を図る他の指導者とは違うのです。
さてここまで書くと僕はトランプ支持者のようですが、イーロン・マスクの政府効率化省の無茶苦茶ぶり、デモなどの言論の自由の迫害(指導者の永住権のはく奪)、ハーバード大学への支援金の取りやめなどに僕は怒っています。凄まじい関税はビジネスマンとしてのディールだから日本も含め各国はしっかり反論すれば良いと思います。米国内に多少でも製造業が戻ってくればトランプは平気で前言を翻す人だからいずれ落ち着くというのが僕の見立てです。
なんだかトランプの話に脱線してスミマセン。ピカソ庵は開店初日から賑わいました。僕が住む土太郎村(10万坪に住宅160戸)に「食べに来て」とラインしたら結構な反響で「あれっ、中島さんがエプロンかけてお膳運びしている」、「手際がいまいちだね」などとからかわれています。でも味は蕎麦打ち名人2人のおかげで皆さん「美味しい。美味しい」と言って下さいます。付け合わせも地元ならではのワラビ、タケノコなど旬の材料です。「出汁が素晴らしい」という方もおられ、中島はにっこり。
日本の大企業には偉そうにしている役職者が多いけど実は何もしていない。部下に「お前の新規事業にはリスクがある」とか「収支見通しは?採算は取れるのか」などと言います。だがやってみなければ分かりません。
新しい事業は思いがけぬ難問が次々と登場します。それを粘り強く克服して行けば必ず成功します。中島は積極性の塊ですから、不公平、不正なことでない限り挑戦しちゃいます。確かに苦労は多いのです。しかし新しい世界が開けたら報われます。そんなこんなで「麺遊ピカソ庵」を友人二人と開店しちゃったのです。
僕の先輩、後輩の新聞記者は誰も積極的な人がほとんど。取材は直ぐ動き、たまには突撃しなければ、らちが開かないですよね。毎日新聞にいる間に僕はとことん間髪入れずに動く前向きタイプになりました。
ところで「104歳、哲代さんのひとり暮らし」という映画(ナレーション リリー・フランキー 監督・編集 山本和宏)という映画が話題を呼んでいます。「老いを受けとめ、自由な心で変えていく暮らし。いくつになっても幸せに生きるヒントをくれるドキュメンタリー」というのがこの映画のキャッチコピーです。
哲代さんは「喜んで年齢を重ねる」「ものごとは良いほうに考える」「できなくなったことは追わない」「なんでも美味しくいただく」「ありがとう、と感謝を口にする」「自分で自分を励ます」を現在進行形で実行しています。
80歳の中島も哲代さんのように104歳を目指し、人生を味わいつくしたいと夢見て蕎麦、うどん、甘味の店にのめり込んじゃったのです。どうぞ希少な千葉在来種の蕎麦をはじめとした美味しい料理を食べに来て下さい。心からお待ちしております。
(中島 健一郎)
(1968年毎日新聞社入社。警視庁、国税庁など担当。警視庁キャップ、ワシントン支局長、社会部長などを経て常務取締役の2006年に退任。大正大学客員教授を務めた後、現在は房総半島の自然豊かなミュアヘッドフィールズ土太郎村に住んでいる)